宮城の伊達家や

鹿児島の島津家のように、

江戸時代の藩というと

同じ土地を代々治める印象が強いですが、

実は移封される大名家も多く、

例えば徳川家康と同じ一族の

桜井松平家は、

一度改易された後、

1622年に千葉県の佐貫藩藩主となり、

1633年に静岡県の田中藩藩主、

1635年には同じ静岡県の

掛川藩主となっています。

 

子が継いだ後1639年に

長野県の飯山藩主になるなど

サラリーマン並みの転勤族です。

 

その分、江戸時代を通じて

同じ家が治めた土地では、

その大名家に対する

思い入れ、親近感が強くなります。

 

とは言え、

山梨県の誇りは武田家。

 

武田嫡流が滅んだ後は

甲斐を治めていませんが、

それでも甲斐と言えば武田信玄ですし、

同様に越後と言えば上杉謙信。

 

上杉家自体は米沢藩主として

江戸時代を通じて治めていますが、

上杉家のイメージに

新潟県は強く残ります。

 

しかし、元々謙信の名は長尾景虎。

 

関東管領上杉氏から

その名跡を譲られる形で

上杉氏を称しますので、

新潟と上杉の関係は

案外短いんですよね。

 

 

さて、日本の歴史を

本貫地(ほんがんち)」

という観点から見ていくと、

少し深く歴史が楽しくなってきます。

 

 

「本貫地」とは、

苗字の元となった

本来その家が治めていた土地です。

 

 

冒頭に登場の伊達家。

 

仙台藩を治めますが、

本貫地は福島県伊達市。

 

源頼朝に

伊達郡を与えられたことで苗字とし、

代々その地を治めますが、

伊達政宗の祖父の代に

山形県の米沢に本拠を移し、

その後政宗の代で仙台に入ります。

 

 

伊達家に替わって

米沢に入る上杉家ですが、

こちらは藤原家に繋がる名門。

 

本貫地は遠く

京都府の丹波上杉荘です。

 

足利尊氏に従い

室町幕府の重職に就く家柄ですが、

足利尊氏の母は上杉氏です。

 

尊氏自身丹波の上杉荘で生まれ、

鎌倉幕府に対する討幕の挙兵も

丹波で行っています。

 

足利家自体は

栃木県足利市を本貫地としますが、

上杉氏の本貫地を知ってから

尊氏の丹波での挙兵を読むのと、

知らずに読むのでは

深みが変わってきます。

 

その後、名門上杉氏は

戦国時代に北条氏によって追われ、

越後の長尾景虎に名跡を譲り

苗字を残すことになります。

 

 

織田信長で有名な織田家ですが、

こちらの本貫地は福井県の織田。

 

室町幕府の下、

越前や尾張を治めていた

斯波家の重臣の家柄でしたが、

その領域である

尾張の守護代となる家系の

分家筋から信長は出ます。

 

一方戦国時代に

越前(福井)を治めた朝倉氏、

 

こちらの本貫地は但馬(兵庫県)の朝倉。

 

しかし、織田家同様に斯波氏に仕え、

応仁の乱の混乱で

越前の実効支配化に成功します。

 

戦国時代に対立した織田家と朝倉氏。

 

本貫地から見ていくと、

同じく越前に縁のある、

先祖は斯波氏の

家臣同志の争いなんですよね。

 

 

長州(山口県)のイメージのある

毛利家ですが、

戦国時代に

毛利元就が活躍したのは広島県。

 

その為、

中国地方の印象が強いですが、

三本の矢で有名な

毛利元就の子供

長兄毛利

次兄吉川

末弟小早川の3兄弟の家も、

本貫地で見ると、

毛利家は神奈川県の毛利庄、

小早川家も小田原の早川近く

神奈川県の小早川、

吉川家も静岡県の吉川で、

3家とも東海道出身の家柄。

 

同じような場所を本貫地として、

数百年に渡って紆余曲折しながら、

戦国時代に毛利兄弟が養子に入る形で

東海道出身の3家が1つになるとは、

ロマンです(笑)

 

 

他にも南部鉄器や煎餅で有名な

岩手・青森の南部家の

本貫地は山梨県の南部だったり、

キリシタン大名で有名な

大分の大友宗麟の大友家の

本貫地が神奈川県大友だったり、

子孫が有名になった土地と

本貫地が違っていたりして、

見ていくと案外面白かったりします。

 

 

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