国家であれ、企業であれ、

個人の家であれ、

経営の側面から考えた場合、

合理性と経済性は

非常に重要となります。

 

無駄な出費、

費用対効果の薄い労力、

生産性無き時間などを

如何に削るかが飛躍への鍵となります。

 

 

一方、

忌み嫌われる「無駄」ですが、

この無駄こそ

文化発展の鍵となります。

 

 

織田信長は

茶器に一国と同等の価値を付与します。

 

すると、家臣たちは

こぞって茶器を欲するようになり、

土の塊の価値は急騰します。

 

信長や秀吉に見出された

絵師の画もまた同様。

 

人々の生活の生産性を考えれば、

絵画が無くても、

茶は湯飲みでも十分なはずです。

 

しかし、

そこに価値を見出し、

出費してきたからこそ、

茶道も絵画も文化にまで昇華します。

 

和装であれ、能や歌舞伎などの芸能、

料理など全ての文化が

似たような発展過程を経ます。

 

それは西洋の絵画や彫刻、

衣服などもまた同様です。

 

ルネサンス期のそれらの発展の鍵は、

芸術家本人だけでなく

彼らに出費したパトロンにもあります。

 

 

経済性だけを考えれば

全て無駄な存在。

 

そんなものが無くても

人は生きていけますが、

どこかの経済性を鑑みない

大金持ちが出費することで、

芸術家は芸術を競い、美を競い、

それぞれ文化の域にまで

成長を遂げていきます。

 

 

逆を言えば、

経済的合理性を突き詰めれば、

文化は発展しなくなります。

 

「生きた無駄金」を

人々が文化発展に投下出来るか否か、

社会の成長の鍵を

握っているとも言えます。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~

ポストお問合せはこちらからポスト

 

取材、出演、執筆依頼 コンサルティング相談など

 

ペタしてね