現在の常識や国境線で

国際政治を見ていくと、

対立点や主張や思惑を

見誤ることがあります。

 

何故なら、現在の世界は

長い歴史の中で常に変化し、

 

「現在その形である」

 

だけだからです。

 

常に変化する

諸行無常の国際政治の中で、

歴史を俯瞰することで、

政治的、安全保障的な動向を

より正確に読み解くことが出来ます。

 

 

ロシアはクリミア半島を

「固有の領土」と称して

ウクライナから併合しました。

 

そして、その主張には

歴史を読み解くと

一定の正当性があります。

 

しかし、それは同時に

「固有」では無いことの

証明にもなります。

 

 

1600年代、1700年代の

欧州の地図を見ると、

現在の私たちがイメージする世界とは

大きく異なることが分かります。

 

フランスの地にフランスがあり、

イギリスの地にイギリスや

スコットランドがあることは

変わりませんが、

例えば、

南イタリアやシチリア島、

トマトやレモン、魚介を使った料理の

美味しい地域は

この時期長らくスペイン領でした。

 

先日、イタリア総選挙で

「北部同盟」という政治グループが

躍進しましたが、

なぜ「北部」なのか。

 

イタリアの歴史が持つ

南北問題を知らなければ

意味が分からないでしょう。

 

ドイツという統一された国家は無く、

小さな諸侯の領土が

複雑に入り組んでいましたし、

デンマークは欧州本土に

比較的小さな領土を持つ国では無く

ノルウェー、アイスランドなどを

領有する大国でした。

 

 

そんな中、東ヨーロッパの状況は

さらに現在と異なります。

 

旧ユーゴスラビア諸国、

ギリシャ、ブルガリア、ルーマニアなどの

国は無く

全てオスマントルコ領となっています。

 

また、エジプト、リビア、チュニジアなどの

北アフリカ諸国、

シリア、ヨルダン、サウジアラビア、

イラクなどの中東諸国、

そしてクリミア半島を含むウクライナ、

冬季五輪が開催されたロシアのソチや

ジョージアなどがある黒海東側までが

オスマントルコの勢力圏でした。

 

つまり、1954年に

ウクライナに譲渡した土地なので

「ロシア固有の領土」との主張ですが、

1783年の

クリミア・ハン国のロシア併合以前は

オスマントルコ領となりますので

「固有の領土」って何だろう??

となってきます。

 

 

そんなトルコですが、

現在対テロ戦を口実に、

シリア政府の許可なくシリア領内に侵攻し、

シリアの北部を占領、

都市にトルコ国旗を掲げています。

 

オスマントルコ復権を目指している、

などと噂されるエルドアン大統領ですが、

そうなればシリアやレバノンなどは

まず最初に取り戻すべき

「固有の領土」ですもんね。

 

 

現在の中東の国境線は、

第一次世界大戦の結果、

敗戦国のオスマントルコを

西洋列強が解体し、

引いた国境線が元となっています。

 

この白人の国境線の放棄を

強く主張したのがISでした。

 

サウジアラビアが後方で糸を引き、

イスラムのシーア派、スンニ派の

対立の中で勢力を拡大したISですが、

一時期的でも一定の支持を得たのは、

この白人の勝手で引かれた国境線の

価値観の打破を

打ち出したこともあります。

 

 

歴史と古い世界地図は、

現在の国際政治が抱える問題の多くを

深く教えてくれる教材となります。