安全保障論においては、

武力的脅威に対する

有効な抑止力として、

自国の軍事力、

または同盟や国際協調による

軍事的総合力による

対抗が挙げられます。

 

一方、一般的に

「リベラル」と呼ばれる陣営からの

伝統的な反論として、

軍事力は軍事力を呼び、

軍拡に繋がり、

軍事的緊張を増大させる、

というものがあります。

 

果たして本当に

それは正しいのでしょうか。

 

軍事力が抑止力に繋がるか否かよりも、

軍事力が軍事的緊張を増大させるのか、

そちらの視点から考えたいと思います。

 

 

リベラル派は

「北風と太陽」の理論から、

こちらが武装解除をすれば、

笑顔で交渉に応じる、

と考えます。

 

しかし、

これは街の不良やチンピラを見れば

適当では無い事は簡単に分かります。

 

非常に分かりやすい例を出せば、

スネ夫は

のび太に対して高圧的であり、

軍事的脅威にもなり得ます。

 

しかし、スネ夫は

ジャイアンを前にすると従順になり、

ジャイアンにとっての

軍事的脅威にはなり得ません。

 

それは、

ジャイアンが好きだからではなく、

酔ったような状況下では、

ジャイアンに不遜な態度を取りますし、

本心では快く思ってはいません。

 

それでも、圧倒的な軍事力を前に、

スネ夫はその本性を隠し、

ジャイアンとの各種交渉に応じます。

 

 

気弱な少年に対しては

いじめっ子な奴が、

不良を前にすると大人しくなり、

そんな不良も

チンピラを前に従順になり、

チンピラも本職を前に

借りてきた猫になることは、

街の縮図となります(笑)

 

 

むしろ、人も組織も国家も、

相手を弱いと推測すると、

途端に高圧的になりがちです。

 

これはビジネス交渉でも同様でしょう。

 

ジャッキーチェンの

映画でもそうですが、

弱いと思って因縁を付けた相手が、

実は武術の達人だったような場合、

途端に交渉可能となるのは

安全保障の理論そのものです。

 

 

アメリカの警察が

重武装だからと言って、

アメリカ中のコソ泥やチンピラが

重武装している訳では無く、

武装はナイフや小型の銃で、

非武装の一般人を

脅したり傷つけたりする

犯罪の方がむしろ主でしょう。

 

コソ泥の武装は

警察への対抗手段なのではなく、

より弱い一般人に対する

脅威となるべく仕込んでいます。

 

それは街のチンピラの理論であって、

国家は異なる、という反論でしたら、

1996年の台湾海峡危機は

国家による好例です。

 

 

台湾総統選挙を牽制するべく、

中国は台湾海峡に

ミサイルを演習と称して

撃ち込みます。

 

弱者に対して

軍事的圧力をかけた形です。

 

すると、アメリカは

空母2隻を台湾海峡に派遣します。

 

すると中国は何も出来ずに

黙るしかなくなります。

 

後年、これを屈辱として

中国は一気に海軍・空軍力を

増強していますので、

「軍事的緊張を増大させた」

とも言えるかもしれませんが、

本質的には、

軍事的緊張を増大させたのは

台湾を弱小と見た中国でしょう。

 

それに対してアメリカの

圧倒的な軍事力を

見せることによって、

むしろ軍事的緊張を無くした形です。

 

 

チンピラであれ国家であれ、

軍事力、反撃能力の高さは

「驚異の増大」では無く、

「抑止力」にこそなっていきます。