現在大混乱中の中東。

 

イラクでは

スンニ派とシーア派が対立し、

そこにクルド人も加わり

三つ巴の勢力分布となっています。

 

それを

「一つの国家」なのだから

仲良くすれば良い。

 

なんて対岸から理想論を

叫ぶことは出来ますが、

その国家の前提となる国境線は、

英仏が1916年に

「サイクスピコ協定」で

宗派も民族も考えずに

勝手に引いたラインです。

 

クルド人に

国家を与えると約束した上で、

反故にして

トルコ、シリア、イラク、イランでの

少数派にさせられましたし、

シリアやイラクで

スンニ派、シーア派が対立するのも、

宗派を考えない国境線を

英仏が机上で決めたからです。

 

最大のテロリスト生産国

サウジアラビアを

生み出したのも英仏。

 

イスラエルと中東との

対立の根源を作ったのも英仏。

 

ISが誕生し、

現在の国境線を壊す

スンニ派国家樹立を宣言した時、

一定以上の支持が集まった背景には、

この英仏に100年間押し付けられた

現状を打破する

期待があったと考えられます。

 

それはアフリカの諸国も同様です。

 

ある国で

虐げられている少数派民族が、

隣国では

多数派なんてことがよくあるのは、

西欧諸国の論理で

勝手に国境線が引かれたからです。

 

 

どんなに国内に

問題が山積していても、

そのような国家たちでさえ、

欧米が引いた国境線に囚われます。

 

その為、

それを維持すると対立も維持され、

変更しようとしても対立は激化する、

という袋小路となっています。

 

イラク戦争後、アメリカは

シリア、イラクのクルド人に

「勝手に国境線を引いて」

国家を樹立させようと試みました。

 

100年前に英仏が犯した、

現在に繋がる対立の根源となる

失策のリセットですが、

その試みは

当然ながら失敗に終わりました。

 

しかし、現在英米は

両国のクルド人勢力に武器を供与、

さらに特殊部隊も派遣しています。

 

なし崩し的に親米クルド人国家を

建国する目論見でしょう。

 

ただ、その試みがさらに多くの

流血を産むのは目に見えています。

 

 

100年前、

勝手に引いた国境線が流血を産み、

それをリセットさせる線を

勝手に引こうとし、

流血を産もうとしている。

 

 

では現状を受け入れ、

少数派は未来永劫虐げられ、

国家を持たぬ民は

主権を持つべきではないのか。

 

難しい問題です。

 

 

「平和」

を唱えるのは簡単です。

「武器を捨てよ」

綺麗な言葉です。

 

しかしそれは、

戦争が起こっても起こらなくても、

自分に利益も不利益も無い、

無責任な第三者の言葉でもあります。

 

 

「中国が攻めて来たら降伏して

日本省で生きれば良い。

死ぬよりよいじゃん」

 

と言う人もいます。

 

確かに死より大きな代償は

個人ベースでは

無いかもしれませんが、

死の危険を冒してでも

取り戻したい誇りを

民族が持つことを否定しては、

国際政治の現実は理解出来ません。

 

 

「平和」とは何か。

 

一義的には

「戦闘の無い事」ですが、

それが「心の平和」を

もたらすか否かは別の話となります。

 

何故戦争が起こるのか、

それは為政者の領土的野心、

なんて物語のような

単純なものではありません。

 

その論理と理由を理解せずに、

平和は唱えられません。