いかにして

「愛国心」は

「敵対心」へと変化してしまうのか。


それは

「寛容性」と「利益」の関係に

解を求めることが出来ると思います。


オランダでもドイツでも、

そしてEU離脱を決定した

英国でも同様ですし、

さらにアメリカでも同じですが、

理想論であり、

綺麗なレトリックである

「寛容性」の結果、

国民が享受したのが

「不利益」であった場合、

愛国心は敵対心へと変化します。



2000年代初頭までの

アメリカ、英国、ドイツ、フランス、

欧米社会の大多数がそうでしたが、

理想主義的な寛容性を掲げ、

移民を受け入れてきました。


人道主義的、国際協調、平和的、

色々な綺麗な言葉が

それに付随します。



しかし、

それがもたらした現実が、

2010年代中盤、

界中を直撃しました。


景気低迷と失業率の上昇、

社会保障費の増大と

受給資格の引き上げ

という流れの中、


「移民政策の結果、

○○国民の仕事が奪われた」


という論が

同時多発的に生じます。



つまり、

国家が主導した「寛容性」の結果、

移民はそのメリットを

享受したけれど、

国民は「不利益」を被った、

と考えるようになります。



この、

「寛容性に対する不利益」

のレトリックは、

どの愛国主義が敵対心へ

変化する過程においても

みられる傾向です。



愛国心とは、

確かに国民の融和を図る

非常に効果的な要素です。


しかし、

人は誰かが不当に利益を

享受することを

極端に嫌う傾向があり、

それが

自分たちのコミュニティの

外にいる誰かが、

寛容性を示さなければ

得られなかった利益を得て、

その結果自分たちが

不利益を被っている、

と感じると

途端に外に向かう

敵対心へと変化します。



「金持ち喧嘩せず」

は世の理。


寛容性を

理想として押し付けては

必ず敵対心を抱えた

愛国心として跳ね返って来ます。


国家を融和させ、

力を発揮させる愛国心は、

国民に利益への道筋を

示すことが出来なければ

変質してしまう、

劇薬と言う事が出来ます。