私が「右翼」と

最初に呼ばれたのは

小学生の頃です。


その後LAへ移住し、

中学・高校と進学する中、

アメリカ人が変な漢字の

入れ墨を彫るような感じで、

高校で使う教科書のブックカバーには


「尽忠報國」やら

「皇国ノ興廃此ノ一戦ニ有リ」


なんて大きく書いてました(笑)



大学以降は先生方から

「右翼の若手論客」

なんて冷やかされ、

自分では

中央通りを歩いているつもりが、

右寄り街道を

順調に歩いてきたようです。



さて、ここで重要なポイント。


一般的に

「右」と呼ばれる陣営には、

「右翼」

「愛国主義」

「民族主義」

「保守派」

などが挙げられます。


民族自決系の保守もあれば、

米国追従系の保守もあり、

保守の外交政策も様々です。


単に「右」と言っても、

どの「主義」「行動」を指すのかは、

幅が非常に広くなります。



私の場合、

「右」であることは

もはや厭いませんが、

「愛国主義者」であって

「民族主義者」ではなく、

民族自決系の政策では

今の日本には

将来が無いと思っています。



今から150年以上前、

大老井伊直弼は

尊攘派によって暗殺されます。


また、坂本龍馬が愛国の為に、

後に師となる勝海舟を

殺害しようと思い

初対面したと言われますが、

そこで勝海舟に

真の愛国を説かれ、

偏狭な民族主義を捨て、

日本を洗濯する坂本龍馬へと

飛躍していきます。


この時勝海舟が語った

真の愛国とは、

21世紀の世界を席巻しつつある

民族主義、保護主義にも

貴重な警鐘となります。



尊攘派は、

外国と手を結ぶことを

「弱気」「売国」と考え、

目の前の外国人、

それと手を結ぶ要人を

殺害していきました。


一方の開国派は、

独力で外国を排除する

力を持っていない以上、

臥薪嘗胆、

外国の知識と技術を学び、

産業を育成し、

いつか対等になる日を

待つことを「国益」と考え、

外国の介入を招く

偏狭な民族主義こそ

「売国」と考えます。



国家百年の大計の

将来の大樹となる松を植える、

と勝海舟は述べますが、

明治政府は

欧米の知識や技術を

スポンジのように吸収し、

50年で欧米列強とならぶ

国際連盟の理事国にまで成長します。


しかし、

再び尊王攘夷の嵐が吹き荒れ、

太平洋戦争で日本は荒廃、

そこから戦後の日本は

再度欧米を吸収し、

経済大国にまで復興します。


これは、戦国期の日本が

鉄砲の大量生産に成功し、

その軍事力が、

日本がスペイン・ポルトガルなどに

侵略された

南北アメリカ大陸のような

悲劇を迎えなかった

大きな要因であったこととも

類似します。


戦国期の大名や商人たちが

鉄砲の大量生産を促進させたのは、

別に国防のためでは無いですが、

自国に技術、知識が無いのならば、

それを吸収、発展させ、

交易で経済発展をし、

富国強兵していく、

そのプロセスは図らずも

国家百年の大計となっていきました。



優秀な日本人もいれば、

堕落した日本人もいます。


それは他国もまた同様。


優劣は

「民族」に起因するものではなく、

あくまでも「個人の資質」に依ります。


だからこそ、

真の愛国とは、

民族などという幻影に囚われず、

10年後、20年後の

自国の国益となる決断を、

広い視野から下せるか否かとなります。



その意味では、

「国際協調」や「開かれた市場」などの

言葉を正当性に、

自国産業の衰退を招く

安易な外国資本の国内流入や、

国内労働者の切り捨てになる

工場の流出などを

長期の戦略的視点も無く

進める者も「売国」ですが、

民族主義的視点から

自国経済に必要な

外国物資の輸入や、

技術や知識の育成に必要な情報まで

遮断する決定もまた、

彼らの主張とは裏腹に

「売国」だと思います。



信長の時代に数万丁の鉄砲を持ち、

砲撃戦が中心となった

日本の技術力が、

鎖国を経て300年後の世界で

刀で斬り合う国家にまで衰退し、

欧米列強に不平等条約を

結ばされるに至った

経緯を思い返せば、

それは明らかでしょう。