人は良くも悪くも境界を築きます。


その内側では

連帯意識、仲間意識、

共同体が完成し、

集団としての人の活動を

スムーズにしてくれます。


一方、その外側に対しては、

多かれ少なかれ

差別意識が生まれます。



自分は人種差別などしていない!!

と主張する人でも、

同窓会、県人会、

各種サークル内などで、

悪意ある差別意識は無くても、

境界の外側に対して

「自分たちとは違う」

という趣旨の発言は

したことがあると思います。


それは必ずしも悪い事では無く、

人はその境界を築くことで、

色々な場面における

連帯意識を高めますので、

境界内活動の効率化をもたらす

仲間意識の副作用として

必ず生まれるのが

差別意識と言えます。



一人の人間が

社会活動を行う中で、

この境界は1つでは無く、

複数が複雑に絡みます。


学校、クラス、部活、会社、町、

地域、都道府県、国家、宗教、

様々なレベルでの境界が

人には引かれます。


いがみ合う

巨人ファンと阪神ファンでも、

野球対サッカーの議論では

タッグを組んだり、

その境界は一定では無く、

その時々で常に変化します。



国際紛争の火種となる、

民族・部族、国家、宗教なども

そんな境界の1つです。


そこに差別意識が存在することは、

否定し隠すのではなく、

むしろしっかりと認識した上で

境界と付き合う方が

健全と言えるでしょう。


隠しても存在する以上、

どうしても表層化しますし、

隠せば隠すほど、

それは「悪い事」として

認識されますので、

自分がその差別意識を

認識した時点で

「悪い事をしている」と思い込み、

その思い込みに誘導され、

境界の内側と違う、というだけの

「区別的差別」から

「悪意ある差別」に

変質していきますからね。


境界の彼方への差別意識は

どんなレベルであれ存在する、

存在する以上、

陽気に付き合うのが肝要ですが、

これが紛争・戦争へと繋がるには

別の要因が

関与する必要があります。


なんせ、

巨人ファンと阪神ファンで

戦争は起きませんからね。


せいぜい酒場で

境界内で愚痴を言うか、

境界が接して

罵倒し合うか程度です(笑)



では何がその要因になるのか、

次回へ続きます。