超能力者の

パラドックスがあります。



「今、異空間の扉を

私の超能力で閉じているので、

魔界の者たちが攻めてこない」


と真顔で話す人が居たら・・・

まぁ基本的には

近寄らないのが正解ですね(笑)



と、いうのは別にして、

その人が自分の超能力の存在を

証明する唯一の方法は、

異空間の扉を開き、

魔界の者たちが攻めて来ること、

になります。


魔界の者が攻めてこないように

超能力を使っているのに、

魔界の者が攻めてこないと

信じても、有り難がられもしない、

というパラドックスです。



さて、安全保障に関連して、

リベラルとリアリストは

しばしば対立します。


国際政治の現実を、


①ホッブズ的自然状態、

つまり秩序を構成する

強制力が失われた、

力こそが優位となる

万人の万人による闘争状態と見るか、


②ジョン・ロック的自然状態、

秩序を強制する権力は弱くとも、

不利益を回避する社会的契約は

出来る状態であると見るか、


もしくはもう少し楽観的に

③互いの不利益を回避するためにも

衝突は避ける決断が

双方ともに出来ると考えるか、


より理想的に

④人々は手を取り合って

平和を望むはずと考えるか、

視点によって大きくことなります。


前半の2者の視点を

リアリズムと呼び、

後半の2つを

リベラリズム

安全保障上は定義付けられます。



この両者は、

話の前提となる国際政治における

現実認識が異なりますので、

話は常に平行線、

議論が噛み合うことも

難しくなります。


ここで話が

冒頭のパラドックスに戻ります。


「憲法九条が平和を維持している」、

武装した相手にも

「心を開いて話し合えば

分かってもらえる」、

「武装解除をすれば

相手も安心して攻めてこない」

の論調に対して、

国際政治の現実は

①や②のリアリズムなのだ~!!

と説いても、

③や④だと思っている人には

何も響きません。



ただ、逆に①や②だと思っている

私などリアリストに対して、

現実的に自衛隊と在日米軍が

日本を守っている状況で、

「いや、むしろ無い方が平和だよ」

と説かれても、

証明のしようがありません。


つまり、リベラリストからは


「リベラリストの理想である

憲法九条の力で

平和を維持しているので、

中国軍は攻めてこない」


と冒頭のパラドックスを

書き換えられる状況です。


なお、リアリストは


 

「自衛隊と在日米軍の力で

平和を維持しているので

中国軍は攻めてこない」

となりますが・・・



と、すると、証明するには

自衛隊と在日米軍が

居ない状況で

中国軍が攻めて来る、

となりますが、

既に九条があり、

自衛隊と在日米軍が

居る状況下においても、

尖閣諸島への攻勢を

強めているのですが・・・


超能力者の超能力が

低下したのか

最初から無かったのかは

分かりませんが、

異空間から魔物たちが

どんどんと近寄っています。


理想と希望は大切ではありますが、

より重要なのは

いかに現実に対処するのか。


ブータンは国土を失い、

インドも係争地に侵攻され、

中国海軍の活動範囲が拡大し、

南シナ海では

国際的にも認められていない

「領土」を堂々と拡張し、

東シナ海では

武装漁民や中国海軍が

日本にも現実的に迫っている中、

見猿と聞か猿を貫いて

現実を見ない超能力者では、

日本の安全は守れません。



平和を願うからこそ、

自国を守る

戦力の保持と同盟は

必要となります。