太平洋戦争開戦時に

海軍軍令部総長という

重職に就いていた

永野修身大将は開戦に際し、


「戦うも亡国、戦わざるも亡国、

 しかし戦わずして敗れるは

 魂まで失った真の亡国である。

 もし勝てなくても、

 護国に徹した日本精神が残れば

 我らの子孫は

 再三再起するだろう」


との趣旨の発言をします。


海軍兵学校校長時代、

詰め込み式教育や体罰を禁止させ、

自由な発想と

創造性を育てる教育を施すような

思考を持つ永野が、

対米戦に勝てるとの

楽観的予想は持っておらず、

昭和天皇にも

「勝てるかどうかも分からない」と

素直に上奏しています。


そんな彼が

真珠湾攻撃を許可するのも、

先の発言に基づく思想だと思います。


この発言を知った小学生の時、

まさにその通りだ、と

子供ながらに思いました。



私はLA時代、

体格や喧嘩の実績では

絶対に勝てないギャングの男に

からかい半分で絡まれました。


しかし、この瞬間、

負けてはいけない時だと

本能が察知し、私はこのギャングを

蹴り上げることで宣戦布告します。


顔を真っ赤にし、

「殺してやる」と

叫びながら向かってきますが、

周囲に居た

ギャングやマフィアの連中が

止めに入り、事なきを得ます。


そして、この止めに入った連中に

認められた私は、


「万が一の時には、

 オレらが守ってやる」


との安全保障条約を

手にすることが出来ました。


例え勝てなくても、

戦う気概のあるもののみが、

誇りと尊敬を勝ち得、

守ってもらうことも出来ますからね。



私は安全保障関連法案には

賛成の立場です。


手続き論など

色々と問題もありますが、

現在の日本にとっては

必要な法案であるとの認識です。


「日本が戦争をするようになる」

との反対意見がありますが、

私は「戦争をしない国」に

住みたいとは思いません。


ギャングに絡まれ、

ヘラヘラと金を一度出したことで、

彼らの資金源と化した

連中を知っていますが、

「戦わない」

とはそういうことです。


負けた結果として

そうなるかも知れません。


しかし、抗わないことと、

戦った末にそうなることとは

雲泥の差があります。


先の永野修身の言葉でいう

「魂まで失った真の亡国」です。



他国が日本への侵略を

実行に移した時、

「戦争をしない」という決断は

何を意味するのか。



泥棒、暴漢が家に押し寄せた時、

扉を開くことで殴られないならと、

それを選ぶのでしょうか。


恐らく次の暴漢が

次なる資産を狙いに来るでしょう。


日本は各国の草刈り場となり、

領土、経済、文化を失い、

そして誇りも失うでしょう。


米軍への支援などに関しても、

暴漢が家に押し寄せたと

友人に連絡し、友人が助けに来たら、

「じゃぁ宜しく♪」と

扉を閉めるような国なら、

友人は助けに来ないでしょうし、

私はそんな国に住みたくありません。


実際のPKOの現場でも、

他国の軍やNPOが襲われていても、

今の日本は傍観しか出来ません。


「戦争をする国」と

「侵略をする国」には

大きな隔たりがあるのですが、

私は名刀を片手に静かに構え、

いざ襲われた時には

強烈な一太刀を浴びせる

静かなるサムライ、

「侵略をしない、戦争をする国」に

この国がなればと思います。