女性友人と

美味しいお店の話題で盛り上がり、

じゃあ一緒に行こう、となります。


数日後に待ち合わせ場所に行くと、

女性と共に知人男性もいます。


話を聞くと、


「今まで黙ってたけど、

俺はこいつと付き合ってるんだよ」


とのこと。


私の中では

「うん、それで??」という話。


「小さいよ、実に小さいよ」


と言うと、


「James程余裕持って生きてる奴は

 そうそういないよ」


とブツブツ言われます。



私は女性側に

彼がいるか居ないかは興味が無く、

平気でデートに誘いますし、

自分がデートに行く友人女性たちが

他の男とデートに行くことも

全く気にしません。


これ、本当に「全く」気にしませんので、

ヤキモチを焼かせようと女性が試みると、

あまりの無反応振りに

バカらしい気分になるのだとか(笑)


デート=ベッドでもなければ、

男女問わず、

「○○は私のもの」みたいな所有権って

相手の気持ちにも、

恋の神様にも

失礼な気がするんですけどね~。


何の縛りも無い中で

自由意思で相手を好きになり

一緒にいるのに、

それが

「居なければならない」に変わるって

不幸だと思います。



江戸時代、

家臣は君主に忠義を尽くすもの、

と儒教思想が広がります。


しかし、これが戦国時代にさかのぼると、

君主は有能な家臣を求め、

有能な家臣は有能な君主を求め、

無能と思えば他家に移るのが

不忠でもなく、ごく当たり前のことでした。


君主にも家臣を引き留め、

家を守るためには

有能である必要性があり、

家臣もまた自分の家を守るために

有能な君主を探し

仕える能力が必要でした。


戦国時代の感覚で言えば、

明智光秀もまた

不忠者にはならないんですよね。


互いの能力に惹かれ、

自由意思で繋がる

戦国時代の君主と家臣。


恋とはこういう戦国時代のようなもの。


男女が繋がるのは

「約束」では無く「魅力」。


魅力が無いと思われれば、

相手は去っていくでしょう。


その魅力が金銭なのか学歴なのか

ルックスなのかは、それぞれの価値観。



自分に自信の無い人ほど、

一度手に入れた恋の相手を

縛り付けようとしますが、

自分の魅力が高ければ、

相手は遠くへは離れませんし、

パワーは相手を縛るよりも、

自分の魅力を高めることに使った方が、

生産的ですけどね~