京都の右京区、左京区が
地図を北を上にして見た時の
位置とは逆で、
西に右京区、東に左京区があると
先日書きましたが、
紀元前の中国で
既に左とは西を指すものでした。
「左遷」の語源になったとされるのが、
漢を建国した
「項羽と劉邦」の劉邦です。
彼は項羽と共に
始皇帝が建てた秦を倒しますが、
圧倒的な力を持つ項羽によって
辺境の地とされた蜀、
今の四川省を与えられます。
中国の中心部から見て、
西の果てにある蜀、
そこに劉邦を封じることを
「左遷」と称したのですから、
紀元前200年頃の中国に
地図を北に見る習慣が
あったことを物語ります。
そして西=左に左遷された劉邦が
最終的に項羽を倒し漢を建国しますが、
この漢においては
右が左よりも上位とされます。
右丞相が左丞相よりも
上位とされる階級制度でしたが、
左に流されたけど天下取ったど~!!なら
左上位にすれば良かったのに
なんて思いますけどね(笑)
秦よりも昔、
周王朝では左が上位でしたが、
秦以降は右上位となり、
その後、三国時代などを経て
隋や唐の頃となると、
左が上位の思想が再び定着し、
この頃の左上位文化が
日本に入って来たと言われています。
また、和装の左側の生地が表になる
「右前文化」も唐に倣ってこの頃に確立し、
719年に法令化されます。
死者の着付けとされる左前ですが、
壁画に残る絵などによると、
飛鳥時代は左前だったようですね。