私のいる自治体では

地元の選挙が近くあるらしく、

選挙カーが煩く走り回るようになりました。


政治に興味関心はありますが、

選挙カーの存在って

街宣車と私の中では何も変わりません。

政治的主張をする煩い車、ですからね。



さて、某党の候補者が

近所で立ち合い演説を始めました。


「暴走する安倍政権にNOを突き付けましょう!!

 この街から国政を変えていきましょう!!」


とのこと。


都議選でも無く、区議選なんですよね??


どちらが偉い、偉くないでは無く、

地方議員がやるべき仕事は

地元住民の生活に密着した政治ですよ。


それが、選挙の意味と価値を歪めて

この選挙が安倍政権への国民の審判である、

なんて主張です。


安倍政権への審判、のみが主張で目的な議員、

仮に当選してもその後の住民に対する政策は

持ち合わせていないのでしょう。


私は当選のあかつきには税金泥棒になります!!

と宣言しているように聞こえるのですが・・・。



さらに演説で


「わたくしがご主張したいのであります!!」


なんて自分に敬語を使っている50代の候補者、

安倍政権に赤文字のNOを突き付ける前に、

貴方の学力に赤点差し上げたいです(><)



アメリカではハーバード大学の政治学校を出ても、

地元の町の議員や

地元の町のロビー活動家を目指す人もいます。


地元の町を良くしたい、

と世界最高学府まで行く人がいる国と、

地方議員は価値が下と

自分たちでも思い込んでいる日本。


アメリカの政治が正しいとは思っていませんが、

これが民主主義の歴史の差ですかねぇ・・・。


地元を具体的政策でどう良くしたいのか、

それが地方議員の

国会議員に負けない存在価値だと思うのですが、

国政への審判にしよう、なんて

自らを貶める主張だと思うのですが