「子供にボクシング習わせようと思って」

に対して、


「貴方は息子さんを

 イジメっ子にしたいの!?なんて野蛮なの」


と答える人がいます。


「えっ、なんでですか??」と聞くと


「ボクシングなんて

 誰かを殴るためのものでしょ。

 そんなの習ったら

 人を殴らずにはいられないの!!

 絶対にイジメっ子になるわ」


ボクシングを習いライセンスを取ったら、

絶対にリング外で

手は出せないんですけどね。


街で殴られても耐えているボクサーも

沢山実在しますからね。

格闘技を習うのは誰かを殴るため、

なんて考えがどうして出て来るのか・・・。


さて、この話、

街で耳にした本当の話ではありません。

次の話が街で聞いた話




集団的自衛権の行使容認の

閣議決定に対し、


「子供を戦場に送るようになる」

「侵略するようになる」

「徴兵制が始まる」


なんて発言を実際に聞きます。


最初の例と同じことです。


集団的自衛権の行使容認が、

何故徴兵制からの侵略戦争に繋がるのか。

ボクシングを習いました、人を殴ります。

と論点のずれ方が同じです。


戦争するには非常に高いハードルと

法的根拠が必要で、

ボクシングライセンス以上の縛りがかかります。


「憲法九条の下で戦争が起こったか!?」


との声もありますが、

米軍の存在が無かったら、

現在の日中関係の仮定の話では無く、

戦後直後にソ連軍が

北海道に侵攻していたはずです。


その為の計画もあり、

北海道北部をソ連領にする案を

実際にアメリカに持ち掛けてもいます。


戦後の平和は九条が担保したのではなく、

在日米軍が残念ながら担保していました。


中国が96年に台湾の総統選挙に介入し、

台湾海峡ミサイル危機を起こした時、

アメリカは空母の派遣を決定し、

その結果、中国は沈黙しました。


この経験から

中国は海軍力の増強の必要性を痛感し

軍備拡大に至りますが、

つまり、平和とは自衛力、反撃能力が

担保するのが国際常識です。


抑止の三原則は

①反撃能力

②それを使う明確な意思

③その事に関する相互認識

ですからね。



日本人が主に日本国内だけで

活動していた50年前に比べ、

今では世界中に日本人や日本企業が進出し、

企業活動、NPO活動、

それこそ自衛隊の国際貢献活動などが

展開されています。


安全保障を取り巻く環境が

ここ数十年に劇的に変化した中、

実際に海外で危険に遭遇する

日本人も増えて来ました。

またシーレーンの重要性も年々高まります。


邦人保護にせよ、シーレーン防衛にせよ、

現場には世界の軍隊が向かい、

日本はメリットだけを享受します♪

なんてことは世界有数の大国に成長した

今の日本が許されるはずは無いでしょう。


手続き論に対する懸念の声や反対論は

十分に戦わせるべき議論だと思いますが、


「集団的自衛権の行使容認=

 平和を壊す、戦争をする、子供を戦場に」


などの声は、

感情に訴えますから力強いですが、

あえて民衆を誤った方向へと誘導している

非常に扇動的で危険な声だと思います。



時代が違う中、

解釈の変更や集団的自衛権の行使容認は

当然の成り行きであるの思うのが、

安全保障を専門にする身としての持論です。