古代ギリシャのプラトンやアリストテレス、

ポリュビオスが政治システムについて

詳しく論じて二千年以上経った今でも、

案外古くなってはいませんので、

政治の基本は

数千年も変わってないんでしょうね~。



世界各地の文明が、

君主制⇒貴族制⇒民主制

と言う大きな流れを自然と経ていますしね。



ギリシャの哲学者たちは、

それぞれの政体の良い部分と、

堕落についても論じていますが、

「貴族制」の堕落先は「寡頭制」。


少数による政治体制を共に意味しますが、

その内容は異なります。


貴族には責任があり、

それは軍の最前線で戦う事。


古代ギリシャなどにおいて、

国防の義務を果たす勇敢な指揮官などが

貴族になっていきます。


つまり、貴族とは勇敢であり、

真っ先に戦場に駆け付け、

住民を守る存在であり、

その代わりに

名誉と参政権などが与えられました。


日本の武士も同様ですし、

他には次郎長などの任侠、博徒も

似た要素があります。


地元の揉め事に真っ先に駆け付け、

解決してくれる存在だからこそ、

住民は支持し、金も払うし、

言う事も聞くんですね。



それが寡頭制となると、

貴族は権利ばかりを持ち、

戦争へは行かなくなり、

権利を行使するだけの存在となります。


こんな貴族への不満が

フランス革命の原動力にもなりますし、

幕末となり

剣術もろくに出来ない高級武士階級に対し、

下級武士や浪人たちが

政権を変えたのが明治維新。


戦いもしないのに、大きな口だけ叩く

口だけ番長は要らないですからね。


堕落への過程も、

そこから民主制への転換も

自然と似るんですよね。


任侠から、

自分たち以外の世界の人間=搾取対象の

暴力団も貴族から寡頭制への

堕落みたいなものですね。

そりゃ住民から排除を叫ばれるはずです。



つまり、洋の東西を問わず、

戦う意思と覚悟の無いものが、

民衆の上に立ってはいけないのですが、

国会での安全保障に関する

議論が盛り上がっている中、

覚悟ある政治家はどれだけいるのやら・・・。



なお、民主制の堕落先は衆愚制。


耳触りの良い事だけを言う政治家に

熱狂する民主的政体ですが、

う~ん・・・選挙の度に片方が大勝し、

政権が代わるような国は、

民主制で留まっているのでしょうか