高校時代、

英語は現地生まれの人の方が

一日の長がありますが、

数式や化学式は

同時に覚えていきますから、

私が「何とかなった」科目は数学や化学。


英語や歴史、社会は

苦手に完全な理系でした。


それが今は理系を苦手として、

社会学や歴史を専門とするのですから、

面白いものです。

塾でも教えていたのも

社会と国語が中心でしたからね。



とは言え、私は

国語の教育は嫌いなんですよね。


「この時の主人公の気持ちは?」

「この時作者は何を思ってこの文章を書いた?」


などの問題がありますが、

何故生徒がそれを分かって、

先生が答えを判断出来るの??

と子供の頃から思っています。


「メロスは激怒した」

の名文で始まる作品は、

その理由が直後に述べられていますが、

似たような文章と

状況だけが書いてあったとして、

必ずしも状況に対して怒っているとは限らず、

昨日の彼女との喧嘩を今でも怒ってたり、

スーパーの特売を忘れていた

自分に怒っているかも知れません。


私自身、ギャングの抗争の場に居合わせた時、

私が考えていたのは、


「う~ん・・・デートに間に合うかな??」


程度でしたしね(笑)



本人の気持ちなんて、

本人以外が導く結論は「推察」でしかありません。


理系分野は解が1つで、

その単純性から

言語力に関係無く解に近づけます。


一方の文系分野は、

解が限りなくあるのが醍醐味なのに、

それを1つにするのは楽しくないだけでなく、

思考の範囲を狭めます。


二二六事件の時、

青年将校たちは

陛下のお気持ちを勝手に「推察」し、

反乱を起こし重臣を殺害することを

「唯一の解」としました。


推察を間違い、

行動を誤った結果があの事件ですが、

政治や安全保障などの分野では、

国語の試験以上に解は複雑に複数あります。


文系分野に理系的思考で臨み過ぎると、

「これしか方法は無い!!」という

危険な思考になってしまいます。


元理系の文系専門家だからこその持論ですが、

理系は登山に似て、

1つの解に辿り着くアプローチを楽しみ、

文系は航路に似て、

無限に広がる解釈の道を楽しむ、

これくらいの余裕が欲しいですね。


逆に文系的発想で理系に挑むと、

これまでの常識とは異なる

解や発想が生まれたりしますね