近年の民族主義の世界的な高まりは、

第二次世界大戦後に

世界中で独立国が樹立された時

以来ではないかと感じています。


時には同義語のように扱われてしまう

「愛国心」と「民族主義」は、

その本質を全く異にします。


最近の世界的な高まりは、

愛国心では無く、

民族主義だと私は思います。



民族主義には

多分に排他的要素が含まれます。


現在の中越関係や

ウクライナを巡る情勢なども、

民族主義の高まりが

事態を複雑化させています。



その言葉の違いを勝海舟を例に取れば、

開国派であった勝を、

坂本龍馬は斬ることも念頭に

訪ねたことは有名です。


尊皇攘夷運動の

熱に冒された幕末の志士たちは、

非日本人、外国を受け入れる日本人を

斬ることで日本を守ろうとしました。


一方の勝は、

強い愛国者であるからこその開国を

龍馬に説きます。


進んだ海外の技術や思想を取り込み、

富国強兵を目指すことが、

最終的に日本を守ること、

と確信していたからです。



明確な侵略を意図する敵に対し、

死を覚悟して臨むことは

愛国者も民族主義者も同じですが、

外国の圧力を前に、

文化、経済での交流も遮断し、

他民族であることのみを理由に

攻撃性を表すことは、

国の発展を望む

真の愛国者では無いでしょう。


かつて以上に国際的な経済の結びつきが強く、

情報が瞬時に行き交い、

文化的障壁も低い現在、

排他主義が国を富ませることはありません。



私は「JAP」と言われた時、

相手がギャングでも殴り掛かりましたが、

Tシャツを着て、ラップを聴いて、

バーガー食べて、マルボロ吸ってと

アメリカ文化が好きで、満喫してきました。


愛国心とは、

異文化排除を「表現」することでは無く、

自分の中で「感じる」もの。


ある一線を引き、

それ以上は踏み込ませない気概はあれど、

踏み込ませないのであって、

排除することとは異なります。


自国の商品を買いたい、

食材を食べたいなら、

それを個人で実践すれば良いので、

外国企業を攻撃して

他者にも無理強いさせても、

国を富ませることにも、

国の評判を上げることにも繋がらず、

結局は国益を損ないます。


つまり、民族主義者は非愛国者と言えます。



譲れない領土の一線などでは、

戦争も起こり得るのが国際社会ですが、

それと日常における

諸外国民との付き合いは、

別なんですけどね。