145年前の今頃、

函館では旧幕府軍と新政府軍が

戦闘を繰り広げていました。


その函館戦争でも活躍した

新撰組と言えば、

近藤勇、土方歳三以下10人の組長など

有名剣士が多数います。


映画、ドラマ、アニメなどにも

よくなりますので、

名前を聞いたことのある剣士は

結構いると思います。



そんな中、マニアな新撰組ファン以外は

まず知らないだろう隊士に

蟻通勘吾と言う人物がいます。


新撰組が結成された

1863年には加入した古参剣士です。


新撰組の行軍禄によると、

土方を先頭に行軍し、

直後には沖田総司の一番組、

斎藤一の四番組

(有名な10番組体制はまだの時代)

が並びますが、

その沖田の次に名前があるのが蟻通勘吾。


並の剣士ではこの位置は任されないでしょう。



池田屋事件に参加し、

天満屋事件でも

海援隊・陸援隊の生き残りと戦い、

後の外務大臣陸奥宗光らと刃を交えています。


会津戦争にも参加し負傷、

その後蝦夷地に渡って

函館戦争において戦死します。


で、この人物が面白いのは、

結成直後に加入、

一番組で沖田のすぐ後ろを任され、

函館戦争時には島田魁などと共に

最古参だったにも関わらず、

加入から一貫して平隊士なんですよね。


新撰組には、

平隊士、伍長、組長と出世コースがありますが、

後から加入する若手などが伍長や組長、

果ては近藤亡き後の局長にまでなっていく中、

ずっと平隊士。


出世出来なかったのか、出世しなかったのか。


文献の少ない人物なので分かりませんが、

いますよね~出世は望まない古株の人って。


責任は少なく、

でも実力、実績があり古株ですので

扱いは丁寧でしょうしね(笑)



私がよく行くLAの焼き鳥屋、

まさに「新撰組」にも、

20年以上勤める古株の店員さんがいますが、

平店員のエプロンをして全体を回しています。


彼のような人なのか??

なんてイメージを重ねます(笑)



皆さんの周りにも

出世を望まない古株さんっていましたか??