軍隊において、

中将は大将に次ぐ位であり、

大佐は少将を挟んで

2階級下のなのですが、

単純に言葉だけを取ると

そうでも無くなってしまう、という

日本語の難しさがあります。


明治期に

軍隊を西洋に倣って作り上げた時、

階級の名称に関しては

奈良時代から続く律令制の言葉を

用いることにします。


兵部省を明治2年に設置し、

兵部卿に仁和寺宮、

大輔に大村益次郎、

大丞に勝海舟や黒田清隆などを配します。


この「卿・大輔・大丞」の並びは

律令制下における「省」の

「長官・次官・判官」となります。


同じ律令制において「近衛府」の並びは

「大将・中将/少将・将監」であり、

「兵衛府」における並びは

「督・佐・尉」となります。


つまり、日本に伝統的に伝わる

言葉の本意からすると、

所属する役所が違うだけで、

「中将=大佐」で同じ格となります。


恐らく明治期の殆どの軍人が

頭が上がらなかったはずの

勝海舟や黒田清隆は、

言葉だけでは大佐より下になるんです。


この混乱を避けるため、

漢字の国中国では、

少将の下の階級は

「大佐・中佐・少佐」では無く

「上校・中校・少校」となります。


律令制のお手本の国ですから、

中将の下に大佐が来たのでは

漢字の意味として間違いになりますからね。



律令制における言葉から、

「左近桜」と「右近橘」で

用いられる右近と左近。


人名で付けられることもあるこの言葉も

律令制における軍事用語から。


先に出た

「近衛府」という軍事系の役所において、

大将は

左近衛大将と右近衛大将の2人いました。


この内、儀式における左近衛大将の陣が

近衛府内の桜の木の近くだったことから、

「左近衛大将の桜」から「左近桜」になり、

その逆で橘の木の近くに

右近衛大将の陣を敷いたことから

「右近橘」の言葉が生まれます。


左近桜に右近橘が飾られる雛祭り、

近衛府がモチーフだとすると

端午の節句以上に男子向けな気が(笑)



各省庁の次官の名称が

「長官を助ける」という意味から

「助・介・輔・亮・弼」などであり、

多くの人名の文字はここから生まれます。


遠い奈良時代の律令制ですが、

今も私たちの生活の中に残ってるんですね~