日本人も良く知る

「臥薪嘗胆」「呉越同舟」「孫子の兵法書」、

他に「死屍に鞭打つ」などの言葉、

全部同じ時代の言葉で、

一人の人物がキーワードになります。



伍子胥(ごししょ)は

紀元前500年前後の人物、

当時は春秋の乱世、数多くの王国がある中、

代々楚に仕えるも暗君に一族全員を殺され、

一人脱出に成功、後に呉に仕えます。


呉では王の側近となり、

孫子の兵法書の著者孫武を王に紹介します。


孫武、伍子胥という

家臣に恵まれた呉は強国となり、

楚を攻め滅ぼしますが、

既に一族を殺した暗君は亡く、

その墓から死屍を出して鞭打ち

一族の恨みを晴らした事から

「死屍に鞭打つ」が出来ます。



その後、呉の王は

ライバルの隣国越との戦での傷から没し、

子の夫差(ふさ)が継ぎます。


この強烈な呉と越のライバル関係から

「呉越同舟」が生まれます。


越の王、勾践(こうせん)への恨みを

忘れないように堅い薪の上で寝て過ごし、

3年後伍子胥の力もあり、越を降伏させます。


ただ、越から賄賂を貰っていた

家臣の言を受け、

勾践を生かしたのがケチの付き始め。


勾践は恨みを忘れぬため

苦い肝を(嘗)舐めて過ごし、

一方の増長した夫差は

越に気を付けるように進言する伍子胥を

自害に追い込み、

結果力を付けた勾践に破れ呉は滅びます。


「臥薪」と「嘗胆」が合わさり

「臥薪嘗胆」となりますが、

この全てに関わる伍子胥、

日本ではかなりマイナーな人物。



人物を通して見ると、

歴史も故事成語も兵法書も

少し奥深く感じられるのですが、

なかなかそういう歴史や言葉を面白く学ぶ

教育ってされないですね~。



なお、勾践も戦後有頂天となり、

苦難を支え呉を破る立役者の名臣

范レイに見限られ、

もう一人の忠臣も自害に追いやります。


范レイは名を陶朱と変え、

別地で豪商となります。


そこから巨万の富のことを

「陶朱猗頓の富」という故事成語になります。



名臣を欠き徐々に衰退し

約百年後に滅んだ越、

越の人は南下し、

ベトナム=越南に辿り着き、

当地の基礎を築いたとの話です。