『いつのまにか変わってる地理・歴史の教科書』

という自著を通して、

教科書で書かれている内容の

変遷を記述しました。


当然書く上でボツになったネタもいくつかあります。


倭寇に関する記述もその1つですが、

大きな理由は記述に

あまり大きな変更が無いから。


それじゃぁダメじゃん!!という感じですよね(笑)



その倭寇、

教科書的には日本の海賊が

朝鮮半島や中国大陸の沿岸を襲った、

と記されているのが一般的。


ただ、前期と後期に倭寇は分かれ、

前期は日本人主体、後期は中国人も多数いた、

と記され、この記述は大きく変わることなく

70年代から現在に至ります。



さて、前期倭寇ですが、

日本人主体であることに

実は大きな意味があります。


教科書でも「九州地方の海賊」と書かれるのですが、

歴史の流れで見ると倭寇より前に元寇があります。


フビライ・ハンの元の大軍が

朝鮮半島から九州北部に攻撃を仕掛け、

所謂「神風」のお陰もあり、

モンゴル・中国・朝鮮の連合軍を

撃退したのが元寇です。


この時襲われた九州北部、対馬や五島列島は

大きな被害を受けます。


その被害には田畑を荒らされた、略奪された

というものだけではなく、

住民を虐殺されたり、捕虜だったり略取で

住民を連れ去られたものも含まれます。


神風で元寇が去ったからと言って、

はいそうですか

と納得いかないのが地元の住民。


これが倭寇へと繋がる背景となります。


連れ去られた肉親・知人を取り戻すために船を出し、

その過程で報復としての略奪行為が起こります。


実際に、連れ去られた肉親を

取り戻した記録も残されており、

海賊行為だけが主たる理由ではなく、

拉致された親族の奪還という自然な欲求が

初期倭寇を特徴付けるという

背景も知る必要があります。


しかし、それって教科書には

記載されていないんですよねぇ・・・(><)


歴史は真実ではなく評価を記すもの。


歴史書、教科書に記されているものは、

歴史のある一側面ということを知った上で、

冷静に読み解いて行きたいですね。