安全保障を

研究対象にしているからだけではなく、

戦争映画を観ることが多いです。


戦争映画の質を変えたのは

以前も書きましたが、

86年の『プラトーン』と

98年の『プライベート・ライアン』


78年にロバート・デ・ニーロの代表作の1つで

名作の『ディア・ハンター』もありますが、

戦場のリアルさを追及していくのは

やはり『プラトーン』から。


80年代は、ともすれば大衆の

拒否反応を求めるかのように

血生臭いリアルを

ベトナム戦争を題材に描く作品が多い。


『プライベート・ライアン』以降は、

ベトナム戦争含め

様々な戦場におけるリアルさを

CGなどを使うことで

表現の深み・奥行きが増します。


ヒーローが活躍する戦場の映画から、

誰もが怖いんだ!!という戦争映画になり、

質の向上と共に画面上の流血量も増えます。



一方、実際の戦争ですが、

戦争映画のような現実をテレビで見た方は

ベトナム戦争を知る方までだと思います。


そう、本当の戦争における

テレビに映る流血量は少ないんです。


91年の湾岸戦争は

テレビゲームと言われましたが、

ミサイルが建物を爆撃するのを爆撃機から撮影し、

それがテレビで流れました。


テレビゲームのように、

建物が次々と爆破されるだけ。


それは99年のコソボの爆撃でも、

2003年のイラク戦争でも同様です。


テレビが報じる「リアルに見えないリアルな戦争」は

戦場の本当の姿かと言えば、違います。

私は戦場を知りませんが、

あれが本当の姿では無い事くらいは分かります。


ベトナム戦争で米国は

北ベトナム軍以上に自国メディアに敗北します。


連日報じられる血生臭い戦場の写真や映像に、

反戦意識が国内で高まりました。


その反省と

イギリスのフォークランド紛争での報道を参考に、

80年代の中米への侵攻では、

徹底的にメディアを管理し、

フリーのジャーナリストから

「従軍記者」という形での取材スタイルに変え、

そのことで「アメリカに都合の良い戦場」

だけを報じさせることに成功します。


その手法は湾岸戦争以降も続き、

現在に至ります。



マット・デイモン主演の

2010年の映画『グリーン・ゾーン』では、

国防総省が

ウォールストリートジャーナルの記者を使って

都合の良い報道をさせ

それがイラク戦争へ繋がったという

アメリカ映画とは思えない

過激なストーリーが展開されます。


ただ、過激とは言え、

「事実に近い」設定ではあります。


アメリカ人以外は疑った

「911」とサダム・フセインの関連性を

メディアは報じ、

大量破壊兵器を保有していない情報を

米英は掴んでいたにも関わらず、

メディアに踊るのは大量破壊兵器を

フセインが保有するというものばかり。


国民はそれらを信じ、開戦を後押しします。


その後、政府の大物との関係が深い、

一連の報道を強く推し進めた

ニューヨークタイムズの大物記者が

退社を余儀なくされますが、

まさに『グリーンゾーン』の設定の通り。



映画は戦争をリアルに描く時代ですが、

一方の戦争は、国と、

それを意図的にか操られてか

強力に後押しするメディアによって

リアルさを失い、綺麗な映画のようになる、

そんな時代です。