「スターリングラード」という映画があります。


安全保障を研究対象とする身としては、

戦記系の映画は大体見ているので、

この作品も当然公開当初に見ました。


スターリングラードを巡る

独ソの戦闘を通じて、

ソ連軍の狙撃兵が

英雄へとなっていく過程と恋の話。


実際の戦闘からすると

史実には登場し得ない戦車がいたり、

ソ連国歌が間違っていたりと

ツッコミ所もありますが、

映画としては敵役エド・ハリス演じる

ドイツのスーパー狙撃手将校が格好良かったり、

なかなか見応えがあります。


さて、この中で、

ジュード・ロウが演じる主人公は

共産国家ソ連の狙撃兵ですが、

その共産体制を賛美し支える恋敵の士官が


「愛情は平等に分かれなかった」


みたいな事を言って恋に破れた事を嘆き、

主人公の為に戦場での死を選びます。


富は平等に分配出来るけど、

愛情は分配出来なかったと嘆く台詞、

資本主義国で製作された映画の中の

共産国家への皮肉とも取れますが、

まぁ真実に近い言葉でもあります。


ギリシャの哲学者プラトンは、

家族を含むあらゆる私有財産を否定し、

(都市)国家そのものが家族であり、

子供は国家が育てるもの、

との見解を示しますが、

さすがに近代共産国家も

そこまでは踏み込めず、

まさに愛は分けられなかった形です。


と、すると独占欲というのは

愛の本質に近い形なのか??


とても大好きな美味しい食べ物があって、

美味しいから独り占めする人と、

「これ美味しいから食べてみて」と薦める場合、

後者の方が好かれたりする。


独占欲は

あまり好意的に見られない欲求ですが、

こと人への愛情となると

話が少し変わるんですかね?


これまで私が多くの女性とデートに行く事を

咎めた女性はいないのですが、

愛されてるの?愛されてないの(笑)??