便利さと「余裕」とは
難しい関係にあるなぁと思う。
文化とは、「○○化」と言った時に
○○になるという意味を持つように、
文明が「文字を使う」ようになったことを
表す単語のようなので、
必ずしも民族の風習や古典
という訳ではないようですが、
一般的に使われる「文化」で考えると、
「文化」とは
「余裕」の中で生まれるものだと思う。
言うなれば遊びこそが
文化の土壌と言える。
さて、その余裕ですが、
秋の夜長という言葉がありますが、
夜が長いというよりは
昼が短い今日この頃。
これまで7時過ぎでも明るかったのが
5時には暗くなってきます。
この相対的に長くなった夜を使って、
労働以外の様々な事を
昔の人はしたのでしょうけど、
時計という便利さが普及した今、
労働する長さは日の長さには比例しません。
時計で管理された社会において、
余裕はやはり持ちづらいのだと思う。
自分でその利便性を享受していて
言うのもおかしいですが、
インターネットで
世界と時間を越えて繋がることが出来、
仕事や作業の効率が上がる一方、
一部ビジネスマンでは
アメリカ時間に合わせて
夜中まで、夜中から
仕事をする人も増えているようです。
マンガ、アニメ、ゲームなどが
文化であっても良いとは思いますが、
これらだけが現代を象徴する
文化だとすると少々物悲しい。
消費財ではない、
余裕の中で生まれる文化、
それを作り上げる土壌を
利便性の中で失いつつあるのかも・・・
なんてことを
これまでは4時に白んだ空に
慌てて寝てたのに
5時まで暗い中作業しつつ思ったりしました。