その客が店の扉を開いたのは

22時を過ぎた頃だった。


丁度クリス・コナーの

「バードランドの子守唄」から

チェット・ベイカーの

「I Fall In Love Too Easily」へと

曲が変わった時だ。


初老の紳士はカウンターの一番端の席に座り

「美味いGimletをくれ」と言うと、

ジャケットからPeaceを取り出し火を点けた。


目の前の客が頼んだ

Manhattanを作っていたため、

初老の客のGimletは相方が作っていたが、

耳に入ったのは

「ありがとう、いくらかな」という彼の声だった。


飲み終わるには早過ぎると思い

端の席を見ると、確かに一口も飲んでいない。


ショートグラスには

薄緑のカクテルが注がれているが、

彼が言いたいことは理解出来た。



「すみません、

 お客様のご注文はGimletでしたよね。

 私が今作りますね」


と言うと、笑顔を見せて


「そう、ジンライムじゃなくてね」と応じた。


相方は「私は・・・」と言おうとしたが、

彼がミスをした訳ではないのも分かっている。

なので、その言葉をアイコンタクトで制した。



ライムは皮が薄そうなものの方が

果汁がよく取れるし、美味しい。

半分にカットし、果汁を絞る。


シェーカーに目分量ではなく15mを

メジャーカップで量って入れる。


ドライジンは好みもあるが、

通好みなところでPrymouthを使う。


冷凍庫からボトルを出して45mを

同じくメジャーカップで量って入れる。


ここで冷凍庫から

ショートグラスを取り出して客の前に置く。


シェーク時の氷は

なるべく大きなブロックを使う。

シェーカーから多少出るくらい入れ、

トップを閉めてリズム良く振る。


シェークの意味は材料を混ぜることと同時に

冷やすことにある。

しかし、水っぽくすることは厳禁であり、

効率良く冷やし、混ぜるために

シェークの技術が求められる。


グラスに注がれた液体は気泡が含まれ、

薄く白濁する。

ライムの果汁をシェークした時に出る色だ。


冷凍庫で冷やされ、

さらに極限まで冷やされた

カクテルを迎え入れ、

グラスは冷たく白く霞む。



「お待たせいたしました。Gimletです」



流れる曲はサラ・ヴォーンの

「Moon River」へと変わった。


「美味しいよ。

美味いGimletが緑色では悲しいからね」


と初老の紳士はGimletを飲み干し、

笑顔で夜の街へと戻っていった。




ギムレットとジンライム、材料は全く同じだ。


シェークするか

ロックグラスに

材料を入れるだけかの違いだが、

実はこの差は非常に大きい。


シェークに技術が無ければ

両方とも同じ味となる。


多くのバーでライムはフレッシュではなく、

緑色のライムジュースを使う。

そのため、ジンライムは薄緑色のことが多い。

仮にライムジュースを使ったとしても、

Gimletは薄緑色ではなく、

気泡が含まれ多分に白くなり、

さらにグラスが冷えて霞み、

霞んだグラスの向こうに

わずかに薄緑の白い液体が見えるようになる。


逆にこれでなければ

Gimletとは呼ぶことは出来ない。

さらに、味を求めるならば

ライムはフレッシュを使う。


単純なレシピだからこそ、

Gimletはバーにおける

最も危険な大人の遊びとなる。