「どうやったらジャズ弾けます?」


と聞かれれば、素人ながら


「自分でジャズだと思ったら」と教えます。


教え方としては最低ですが、

ジャズの素晴らしさって

そこに凝縮されていると思います。


そんな前置きから、

少しマニアなジャズの話しです。



音程、リズム、強弱などが決まっており、

そこに作曲者の意図まで反映させる

西洋クラシック音楽に対し、

アフリカのリズムを源流に

アメリカで誕生したブルース、そしてジャズ。


何もかもが不自由だった新大陸の黒人達は、

音楽のあらゆる要素から

自由に解き放たれたこれらの音楽を愛し、

育てていきます。



「ジャズの世界観が分からない」


とジャズを弾いていた時期の

私のライブを見て友人が言いましたが、

確かに知識無くジャズに接すると、

アナーキズムの塊に聴こえ、

何を楽しんで良いのか分からないと思います。


自由な音楽の中にあるルールとして、

特定のリズム、音階の上でテーマを弾き、

その後各楽器がそのテーマをモチーフにした

ソロを弾いていきます。


どのように崩してどんなソロを弾くのか、

弾いている本人も、伴奏する共演者も

その瞬間まで分からない

「音を楽しむ」音楽の時間となります。


そして最後に再びテーマを弾くというのが

ジャズの基本的な形。


40年代頃までの

ビバップ、ハードバップと言われるジャンルは、

リズムと音階の上でソロを楽しむジャズでした。


チャリー・パーカーやルイ・アームストロングなどが

この時代の代表者となります。



50年代となると、

クールジャズと言われるジャンルが確立し、

ソロだけではなく、

全体を通して統一した意識の下に

音楽を楽しむようになります。


現在でも愛される多くのメロディアスなジャズは、

この時代のものとなります。


マイルス・デイビスやビル・エバンスなど

有名なジャズマンを多数排出する時代です。



しかし、自由だった「音」に

徐々にルールや制約が加わってきたのも確かで、

その後ジャズロックやフュージョンなどに

展開する中で、ジャズの規制は

どんどん強まっていきます。


自由だった音楽が、

学校で習う音楽へと「格上げ」される中で、

ジャズとはこうあるべきというルールが、

ソロの弾き方はこうあるべきなどという規約が

登場するようになり、

それと共に音楽としての輝きも

褪せていった気がします。



まだ自由と規制の狭間でジャズの方向性を

時代が模索していた50年代、

キャノンボール・アダレイが

マイルス・デイビスと共に録音した

スタンダードナンバーの「枯葉」は面白い。


ジャズ界でも名録音の代表とされる

この「枯葉」のバージョンでは、

全体を統一したいマイルスが

メロディアスにテーマを展開します。


一方自分のソロの番がやってきた

キャノンボールは、

サックスでファンキーにソロを吹き上げます。


別に喧嘩をしている訳ではなく、

この面白い化学反応が

このバージョンを名盤にしています。


時にリズムまで無視して自由を謳歌する

40年代、50年代のジャズ。


そんな風に人生まで生きれたら、

な~んて自由人としては思っちゃいます(^^)