◇日章旗制定と斉昭公
日の丸が国旗(総船印)になった背景には、水戸藩第9代藩主 徳川斉昭公の強い影響力がありました。

1853年(嘉永6年)、ペリー来航に伴う大船建造の禁を解きいた幕府は御国総船印(惣船印)を検討し「白地中黒」としました。
しかし、この案を阿部正弘老中が海防参与の斉昭公に諮問したところ「中黒は徳川家祖先新田氏の徽章であり体を成さない。日出ずる国の象徴、日本万世の目印として、日の丸こそが国旗に相応しい」と再三再四主張。
その後、幕府は斉昭公に押し切られ、当初の案を覆し、白地日の丸の幟を日本総船印と定めた。

斉昭公の提言がなければ、日の丸が国旗にはならなかったわけですが、現在では島津斉彬公の功績が多く語られております。

徳川将軍後継問題で徳川慶喜を推す一橋派として、老中阿部正弘とともに斉昭公と行動を共にした島津斉彬ですが、官軍(勝者)の歴史か?水戸でもしっかり声を上げていきましょう。

今夜のFMパルルン「プラウドオブいばらき」でお話ししました。明日木曜日16時~再放送します(^^)

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