5月9日、弘道館鹿島神社の春季例大祭が行われました。

安政4年(1857年)5月9日に、常陸国第一宮鹿島神宮からタケミカヅチノ大神が分霊され、徳川斉昭公自ら鍛えた『葵くずし八雲鍛え』の太刀を御神体に奉納し、日本神道の魂が込められたこの日に本開館式典が行われたそうです。


弘道館は天保12年(1841年)に開設されたとされていますが、16年の歳月が経過したのち、弘道館記碑にある『神儒一致』が叶ったこの日の鹿島神社遷宮例祭を『弘道館本開館式』としたことは、斉昭公がいかに神道を重んじていたのかを表していると思います。


弘道館に展示されている学生警鐘には、斉昭公が考案したしめ縄や神鏡が施されており、また、藤田東湖が描いた弘道館の図案も展示されておりますが、神社を中心とした配置にも神道を中心とした精神がみられます。


現在、鹿島神社は宗教法人として弘道館とは別管理となっており、弘道館の案内板やホームページでも白抜きで説明もありません。

本来弘道館の中心的位置付けの鹿島神社や孔子廟、弘道館記碑のある八卦堂や学生警鐘、要石など、弘道館の塀の外側にある重要な史跡の整備や管理業務を整理していかなくてはなりません!

合わせて、神社入り口の使用頻度の少ないテニスコートが史跡敷地内にあるという、意味がわからない施設について、こちらも県に働きかけて行きたいと思います。


また、鹿島神社の本殿は、伊勢神宮から頂いた貴重な社です。

40年前の伊勢神宮式年遷宮の際、皇大神宮別宮『風日祈宮』の旧殿一式が特別に譲与されており、由緒ある『唯一神明造り』の建造物が間近に見られます。

弘道館に鹿島神社が鎮座する間の16年間、一説では伊勢神宮からの遷宮の働きかけてもあったということもあり、この伊勢神宮の社の移設は、当時の想いを後世の方々が受け継いだという事だと考え、あらゆる場面で情報発信をして行きたいと考えます。


『弘道館』開設の翌年、一対として開設された『偕楽園』の観光客が年間100万人に対して、弘道館は10万人にも満たないそうですが、斉昭公の『一張一弛』、『陰陽道』のお考えのもと、本来は要であるはずの弘道館に、偕楽園からの観光客をしっかり引き込むため、弘道館、好文亭を中心に県歴史館、水戸芸術館も含めた『文化共通割引』システムを実現して行くことで、中心市街地への導線づくりに結び付けて行きたいと思います。

{643617B9-1F59-4967-BB8B-E835864C5BD3:01}
{4450C7C0-7DB8-4690-B347-EE78E39A3E1B:01}
{7B86FD23-E850-4179-9BD0-84B941E5B0CA:01}
{5C2A3FF6-6DA7-41B3-8CD3-6C4FA8F72DE5:01}
{0899ED56-9C4A-4E6B-9037-682E076DC3E0:01}
{2234638C-1C76-4A6F-BE37-3F4B3A48CC70:01}
{F8865BF3-9A44-44AC-BB91-D1C463CB36A9:01}
{E50483CA-4509-419C-BF8D-2E8C8AE48D29:01}
{3C1D5A7D-0289-4C24-8652-DB16E288473C:01}
{42ACFB66-6E1B-496E-96BF-7965D31B3219:01}