本日のFMぱるるん『PROUD OF IBARAKI』は両先輩欠席でパンダさんと2人だけで生放送。しかも放送2分前にすべりこみのスタジオ入り(^^;)

主な内容は、
○茨城スイーツフェアの感想。「展望ラウンジで景色見ながら食べられる」や「11Fでサザコーヒーやお茶を飲みながら食べられる」などのお話も。

○茨城県の山について。アウトドア茨城から大洗の観光拡大計画まで。
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○井伊大老の首級が水戸に?!
先日、水戸見川の「妙雲寺」に伺いました。武田耕雲斎のお墓参りが目的でしたが、門に入ってすぐ左側に「大老井伊掃部頭直弼台霊塔」という文字が目に付く。

慰霊碑自体は納得と思いましたが、裏側に「大老井伊掃部頭直弼台霊供養塔由来」という文が刻まれておりました。

読み進めると「水戸浪士の広木松之介が井伊大老の首級を水戸に持ち帰り、斉昭公も一見との記述!!
斉昭公は『これは浪士のなしたること 御首級は供養し命存えよ』との仰せ。しかし、烈士が次々と処刑されるのを知り松之介も自害。
「その後、昭和37年以来、大老の御首級を彦根の井伊家にお返しするために交渉をしてきたが、水戸浪士が苦労して持ち帰ったものだから水戸に留めるようにと受け入れられなかった。」との内容でした。

通説では、「桜田門外ノ変」で18名の桜田烈士に襲撃された井伊直弼大老は、水戸浪士と行動を共にした唯一の薩摩浪士の有村次左衛門により斬首、有村も力尽き自決。首級は彦根藩側に回収され、藩邸で胴体と縫い合わせて病死としたというものです。

そして、この交渉役と慰霊碑を立てた人物が「 三木啓次郎」であるとのこと!

三木啓次郎といえば、初代頼房公に光圀の堕胎を命じられたが、その命に従わずに自邸(現在の水戸三の丸、水戸黄門神社がある場所)で光圀を産ませた三木之次の子孫。そして、松下電器・松下幸之助を援助し、後に幸之助は「水戸黄門」のスポンサーとして恩義に答えたというエピソードが有名です。

広木家も三木家も妙雲寺にお墓があり、三木家の言い伝えで墓地を調べると、頭部の御遺骨があったとのこと。

ご遺族や親善都市の彦根市の市民感情もあり、すべてを判明させることが良いとは思いませんが、DNA鑑定ではどうなるのかと考えます。

ちなみに、千波湖の白鳥は親善都市提携の記念に彦根市から贈られてきたもので、水戸市は梅の木を贈りました。

思わぬことがきっかけで妙雲寺の伝承を知り、幕末に想いを巡らせながら、久しぶりに「桜田門外ノ変」のDVDをゆっくり観たいと思いました。
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加藤あきよし活動報告(茨城県議会議員)