<2024年4月23日>

 公立学校教員の長時間労働が問題となるなか、文部科学省は人材確保に向けた給与増や働き方改革の具体案を明らかにしました(中教審特別部会)。民間の残業手当(超過勤務手当)相当として一律に上乗せ支給されている「教職調整額」を引き上げることなどが柱であり、報道でも大きく取り上げられました。
 私は地元の教員養成系の大学に進学しました。教職を志した理由が何だったのか振り返ると、「人との関わりが好きだった」事が一番です。人と関わる仕事が沢山ある中で、教員はイメージしやすい、身近な職業だったのでしょう。教員採用試験で不合格になる経験していますが、教員以外の道を選ぼうとは思いませんでした。
 教員免許を取得するには、教育実習が必須です。当時(昭和58年)は、一般的に2~3週間の実習で単位が取得できたはずですが、教員養成系大学の教育実習は6週間でした。そこでは当たり前に深夜まで仕事をする先生方の姿があり、実習生も相当遅くまで学校に残っていました。「おまえ達は帰っていいぞ」と指導教員の言葉があって、ようやく「お先に失礼します」と帰った事を覚えています。当時は、24時間戦えますか?というCMのキャッチコピーもあったように、日本全体が仕事中心の社会で、特に教員だけが過重労働だったのではありません。
 大学を卒業し、最初は1年間という期限付きの講師採用でした。勤務時間や休暇制度、福利厚生のことなど全く知らず、「習うより慣れろ」が当たり前でした。もちろん「教職調整額」という存在も知りません。翌年、正式採用となりましたが、平日は遅くまで学校にいて、持ち帰り仕事は当たり前、土曜日も半日勤務でしたし土曜午後・日曜日の部活動指導も当然です。でも、『ブラック』と感じたことはなく、徐々に任せられる仕事が増え、学生の目線ではわからなかった教員の仕事の面白さも感じ、やりがいに繋がっていきました。
 教員の働き方を大きく変えるきっかけになったのは、学校週5日制の導入です。この頃、社会では大企業を中心に週休2日制が進みつつあり、公務員の制度も週休2日制を推進する立場でした。当然、公立学校教職員にも適用しなくてはなりません。このとき、土曜日の半日授業を維持したまま教員の週休2日を導入しようとすれば、教員の数を増やすことが必要でした。しかし人件費の増加は大蔵省(現財務省)が認めません。困った文部省(現文部科学省)は「週休2日制」と言わずに、様々な(とってつけたような)理由をつけて「児童・生徒そして保護者にとって学校は週5日の方がいい」のだと「学校週5日制」を推進していきました。「4週5休(4週間に1度土曜日休み)」「4週6休(第二・第四土曜日休み)」を経て、平成14年に完全学校週5日制が実施されました。しかし、教員は、勤務に余裕ができるどころか、逆にゆとりを失っていくことになるのです。(これはいずれ機会を見て、書きます。)
 学校週5日制以外にも様々な要因がありますが、学校を取り巻く状況は大きく変化し、教員に求められる業務量は増加の一途をたどってきました。教員の働き方改革は喫緊の課題となり「教員確保へ『給与増』『業務源』」(日経)の見出しのとおり、半世紀以上も改善されなかった「教職調整額」が引き上げられる方向になりました。しかし、「『ブラック教職』払拭遠く」(毎日新聞)、「教員残業代ない 継続」(朝日新聞)のように評価は芳しくありません。それは「定額働かせ放題」と言われる「教職調整額の枠組み」そのものが残ってしまったからです。「抜本改革見送りに疑問も」(福島民報)と書かれるのはやむを得ない面もあります。(いったい何が問題なのか。それは「その2」で。)
 社会に飛び出し、就職してから様々なことを学び、日々の関わりからやりがいや充実感を感じていくのが当たり前、という私たちが就職した時代から40年が経ちました。今の学生の皆さんは、就職前に企業や職場環境をリサーチし、自分に合った職場(そもそも「自分に合った」とは何だ?と思いますが)に就職しようとします。間違っていないと思います。でも、知らない世界に飛び込んで、就職してみたらこんなに素晴らしいことがあった、人間として大きく成長できた、ということもあると思うのです。(もちろん逆もあることもわかっています)。
 今回の文部科学省の方針を受け、「現状は変わらない。あーあ。って感じ」(教員養成系女子学生)「教員になるのを迷う。両親にも民間企業に就職するよう説得されている」(教職大学院男子学生)という感想が報じられていました。言い過ぎかもしれませんが、学校現場はこういう人を必要としていないと思います。

(その2 に続きます。)