9月6日(日)午後11時53分 父は穏やかに旅立ちました。

 「92歳の夏」シリーズは、その4で「在宅介護・訪問診療」をテーマに終わりとする予定でした。

その日が近いことは判っていましたが、実際の逝去には触れずに、と思っていました。

ところが、医師の想定よりも早く、そのときが訪れてしまいました。

 状況が大きく変わったのは、かかりつけ医の受診日である8月26日(水)でした。
 このときの様子を見た主治医は、家族に「在宅・訪問診療」の手続きを急ぐよう指示しました。

 翌日には訪問診療を担う病院および訪問看護ステーションと契約。

 早速訪問看護師訪問医師が来と医師が定期的に来ることになりました。

(「訪看(ほうかん)という略語をこのとき初めて知りました。)
 

 翌週、7月31日(月)は医大附属病院の診察日。

 2年間お世話になった肺ガンの主治医に「最後になる」旨を告げ、「頑張りましたね」との言葉がありました。

形成外科では足の傷の最終確認をしてもらい、「治ったよ!良かったね」と若い医師に励まされるように声をかけられました。
 その夜「風呂に入りたい」という希望が叶い、自力で湯船につかり、気持ちよさそうに床につきました。

そして翌日以降、日に日に衰えが進み、徐々に自力で歩けなくなりました。
 

 亡くなった9月6日(日)は、昼頃までは意識がしっかりしていて、話しかける人も認識できていました。

午後から徐々に意識の混濁がすすみ、目をあいていても相手の認識はできないような状態となりました。

そして深夜、穏やかに息を引き取りました。
 寝顔は穏やかで、少し微笑んでいるようでした。

 通夜は9日(水)、葬儀・告別式は10日(木)に行いました。
 最後に、喪主として通夜・葬儀で述べた謝辞から抜粋し、父の92年間の生涯に捧げるとともに、

読んでくださった皆様へのご報告といたします。
 ありがとうございました。


『(前略)
 父は、私にとっての祖父の死により、19歳の若さで、家を継ぐこととなりました。
 当時の祖父の年齢は46歳と聞いていますので、
 祖父の倍の年齢を生きたことになります。

 さて、近年の故人は、皆様ご存じの通り、90歳になっても軽トラを運転し、畑を耕し、草を刈り、

キュウリが作れなくなったときがが死ぬときだ、と元気に過ごしていましたが、
2年前に肺がんが見つかってから、衰えが目立つようになってきました。

 そして、今年7月28日、心筋梗塞で救急搬送となりました。
 カテーテルを挿入し、ステントを入れ、一命を取り留めましたが、
この1週間の入院が大きなダメージとなりました。

 日に日に食欲が衰え、思うように動けない中、
 8月19日のかかりつけ医の受診では、「終末期と考えた方が良い」と診断。
 下旬には、在宅訪問看護により、看取りの段階となりました。

 それでも8月31日には、自力で自宅の浴槽で入浴し、
 歩行器を使ってトイレにも行っていたのですが、
 そこから1週間、日ごとに状況が悪化し、9月6日深夜、帰らぬ人となりました。

 思うようにならない自分の身体にいらだつこともありましたが、
訪れる皆さんに「ありがとう」「ありがとう」と何度も感謝の気持ちを表し、
最後は穏やかに息を引き取りました。

 92歳、大往生であったと思います。(後略)』

  ※火葬後に納骨となる予定でしたが、折からの悪天候のため、四十九日の法要後に
  延期しました。もう少し、自宅にいたかったのでしょう。