本家御三家(橋幸夫・西郷輝彦・舟木一夫)の隆盛は昭和40年前後である。
私は昭和36年生まれだから、当時を覚えてはいないのだが、母の話では、眉間にしわをつくるように西郷の真似をしながら「星のフラメンコ」を歌っていたそうだ。
野口五郎・西城秀樹・郷ひろみの「新御三家」がデビューしたのは小学校高学年の頃。その後中学校・高校時代に「歌謡曲」という分野で最も耳にした3人である。
郷ひろみは、1972年に16歳でデビュー。ハイトーンボイスと中性的なビジュアルで歌う「男の子女の子」はオリコンチャート5位を記録したが、当時は好きになれなかった。甘いメルヘンチックなおとぎ話のような曲が多く、男性ファンは少なかったのではないか。印象に残っている曲は、中学生になろうとする74年3月発売の「花とみつばち」。「まぶしいのは、はだ~~」の歌詞にドキドキしたものである。当時はそこまで思わなかったが「花とみつばち」は名曲である。特にイントロが素晴らしく、1番の歌い出しまでの気持ちを盛り上げてくれる。
そして、シングル10曲目の「よろしく哀愁」で、郷はアイドルから大人の歌手へと階段を上る。可愛らしい声から大人の声へと発声が安定し、「哀愁」が歌える歌手へと成長した。初のオリコンチャート1位を獲得したのも納得である。とはいえ、当時郷は19歳。ちょっと早い大人への脱皮だったかもしれない。「よろしく哀愁」は長く歌い継がれる大切な曲となった。
郷と違い、西城秀樹は「愛を叫ぶ」「身体で歌う」歌手である。全身からほとばしるエネルギーを感じる。思い出すのは74年発売の「激しい恋」。これもイントロが印象的な曲である。「やめろっと~いわれてもっ」に続く、膝を上げる振り付けも大いに流行ったものである。
私が最も応援していたのは、3人の中で最も地味な存在である野口五郎である。
演歌歌手でデビューしたが全く売れず、2作目の「青いリンゴ」でポップス路線に転換。7作目の「オレンジの雨」からオリコンチャートトップ10に名を連ねるようになり、13作目の「甘い生活」(74年)でついに1位を獲得した。すごく嬉しかったのを覚えている。続く「私鉄沿線」(75年)も1位。新御三家の中で名実ともに「実力派」として認められるようになった。
3人の中で、レコードを持っているのは野口五郎だけである。
レコードが買えるようになったのは高校生になってから。シングル盤が500円、LPは2800円の時代。月の小遣いが3000円位の時代だから、レコードを買うのは結構大変だった。でも野口のレコードは持っているのだから、すごく応援していたのだ。そういえば、高校の同級生に久しぶりに会ったとき「野口五郎まだ聴いてんのか」と言われたことがある。私の野口五郎好きは相当なものだったようだ。
西城が亡くなったのは残念だったが、郷も野口も現役バリバリである。
あれから50年以上が経った。キラキラした瑞々しい時代であった。