2024年2月4日(日)
 「お勉強!」。大きな声で元気よく答えが返ってくる。「小学校では何が楽しみですか?」と問われた入学間近の幼稚園児の答えである。これを見ていた高校生は、「勉強?楽しみってどういうこと?」と首をひねっている。おいおい、君も昔はそうだったんだよ!
 「楽しみ」であり「楽しかった」はずの勉強が、いったいいつから「嫌い」「つまらない」ものになったのか、と考えることがある。学校教育に長く携わってきた者として、残念ではあるが、結論として学校教育に大きな責任があることは否めない。
 先日参加したイベントに、鎌倉市教育長の高橋洋平氏がパネラーとして招かれていた。高橋氏は文部科学省から福島県教育委員会に出向し、福島県の復興に多大な功績のあった人物である。その高橋氏が、レイチェル・カーソン著「センス・オブ・ワンダー」の引用から「残念なことに、わたしたちの多くは大人になるまえに澄みきった洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直感力を鈍らせ、あるときはまったく失ってしまう」と述べ、鎌倉市の目指す「生涯にわたってワクワクし学び続ける教育」を紹介していた。高橋氏の話を聞きながら、学校教育によって感性が鈍ったり、勉強が嫌になるのでは、本末転倒だなぁ、と、このときも学校教育の責任を考えていた。
 若い頃、宴会の2次会で「何の先生だったんですか~?」と女の子から聞かれると「一番嫌いなの言ってみな」と返していた。「〇〇!」「ハイ正解!」みたいなお約束の会話が続いた。ま、嫌われたものである。しかし、嫌いな理由を聞いてみると、〇〇には全く罪はなく、先生が「〇〇嫌い」を作り出していたことがわかった。「できなかったから」という返答もあったが、それも先生の責任である。(〇〇は何でしょうか?)
 そんなことを考えながら、校長としてよく生徒と一緒に大きな声で「ワクワク!」と唱和していた事を思い出した。一緒に声に出すと、雰囲気は変わるものであり、それは先生達に「ワクワクしてね」というメッセージでもあった。先生達が楽しくないと、生徒も楽しくない。教員は、「学びの楽しさ」を伝える伝道師であり、「学校は楽しいもの」でなくてはならない。社会の変化に伴い、学校に求められる「学び」は大きく変わり、教員にも変容が求められている。これまでの価値観を変えていくのは大変なことだが、「学び続ける教員人生」というキャッチフレーズのとおり、先生方の学びと実践の積み重ねが、学校教育の信頼にも繋がっていくのだと思う。
 学校現場から離れ、どんどん時代から遅れていく不安がある。それではダメだと戒める自分もいる。前述のイベントを知ったときに「面白そうだな」と思った。ちょっとワクワクしたのだ。こう思えるうちは大丈夫だろう。ワクワクはまだ私を見捨てていない。
 まず、妻から「センス・オブ・ワンダー」を借り、じっくり読むことにする。