”「いま、ここ、わたし」をしっかり生きる” | コンフォートトランセゆいのブログ

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函館市の民間患者等搬送事業、介護・福祉タクシーのブログです。
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「「いま、ここ、わたし」をしっかり生きる」

いま、ここ、わたしをしっかりと生きよう。




「希望」や「夢」を持つな、と言われると、凡夫(ぼんぷ)の我々はとまどってしまう。

 

子どもの頃から、「希望」や「夢」という言葉が、どっぷりと心に沁み込んでいるからだ。

 

 

しかし、仏教においても、神道においても、明日というものはなく、「今、ここ」しかないのだ、と言われる。

 

それは、明日になっても、明後日になっても、気がつけば、我々の目の前には、「今、ここ」しかないからだ。

 

つまり、我々にできることは「今、ここ」をしっかり生きることしかないということ。

 

 

「しっかり生きる」とは、〈のんびり・ゆったり・ほどほどにやっていく〉こと。

 

それは、「人生を楽しむ」ということでもあり、もっというなら、「人生を遊ぶ」ということ。

 

 

「楽しむ」には、「苦しむ」という対義語があるが、「遊ぶ」には対義語がない、仏教的な絶対の境地。

 

たとえば、「遊行(ゆぎょう)」とは、僧侶があちらこちらをめぐり歩くことであり、行脚(あんぎゃ)とも言われる。

 

また、山田無文老師は「遊戯三昧(ゆげざんまい)」について、「働くことがそのまま遊びなんです。人のためにすることがそのまま遊びなんです。苦しい目に逢うこともまたそのまま遊びなんです」という。(禅、「あたま」の整理/知的生き方文庫)より

 

 

つまり、この世の道中を、道草したり、寄り道したり、遠回りしたり、迷ったりして、それを面白がって、楽しみながら、遊ぶように生きるということ。

 

遊ぶように生きる…

 

「いま、ここ、わたし」をしっかりと生きてゆきたい。