”親のための勉強をする子供たち”が私の周りに多すぎるので記事にしてます。

 

どういうことかというと、”褒められるために勉強をする”ようになっているということです。

 

小学生であればそういった教育方法が良いのはわかりますが、こういった状態になっているのが高校生でもあり得るということが非常に心配であると考えています。

 

褒められるためという癖がつくことによって、すべての物事においても相手から褒められるために頑張ることしかできなくなります。

 

褒められるために頑張ることが悪いことだとは言いませんが、承認欲求を満たすための勉強は長続きしませんし自分の力になりません。そして褒められることがなくなった場合に、何を目的として勉強をしたら良いのか分からなくなります。

 

常に他人からの承認基準で頑張ることが癖付くと怖い未来が待っていることにもなります。

 

それは社会に出た時です。

勉強だけではなく仕事でも同じことが言えます。

 

今の時代、上司から依頼された業務を上司から褒められるためでしか行えない社員が増えています。

 

仕事はお客様視点で考えなくてはならないのに、結局のところ上司ベースでしか仕事ができなくなってしまいます。

 

当たり前ですが仕事は他人が褒めてくれるものではありませんので、褒められるという機会は社会人以降は極端に少ないでしょう。

 

褒められるための勉強しかしてこなかった子供たちは社会に出た途端に頑張る目的を失い仕事に行くのが億劫になってしまうといったケースを何度も見てきました。

 

他人基準で頑張れることはもちろん素晴らしいことです。

 

ただ、その承認欲求が強すぎると常に相手の顔色を伺いながら何かをする人生になってしまいます。

 

このSNS時代で容易に他人と比較できるようになった今、さらにその承認欲求は加速化してしまいます。

 

自分のために頑張れなくなると、結局のところ精神的にも辛くなってしまいますし、最悪都合の良い扱いをされて終わることも十分あり得ます。

 

他人基準も行き過ぎると自分を追い込むことになりますので、自分のために頑張れる癖をつけることが教育では大切ではないかと私たちGAPは考えています。

 

そこで、私たちが考える親が子供にすべきことはただ褒めることではなく、

””勉強を実際にアウトプットさせて実感させること””←これが重要だと思います。

 

具体的は、割り算を始めて習った子供に対して

「このクッキーを3人で分けたいけど1人何個になるのか教えて欲しいなぁ」

 

このようなちょっとした機会を作ることが非常に大切です。

 

そうすると勉強することに対して自分なりに意味を見つけ自分から勉強するような子供になっていきます。

 

要するに”勉強は役立つものなんだ”という大義名分ができます。

 

ちょっとした実感を持たせる工夫がいかにできるかが大切です。

 

このような少しの工夫が教育では大切だと思っています。それができるかできないかで大きな分かれ目になると考えています。