13年前、とあるクラスで、生卵を子どもに見立てて育てると言う子育てシミュレーション授業をしました。



当時私は1人目の子どもを妊娠中で、12月に産休に入ることが決まっていました。

教師になって10年以上経っていましたが、保育の授業は苦手分野。子どもを育てたことのない自分が話す保育の授業に自信を持てずにいました。


そこで、子育てシミュレーションから生徒自身に考えてもらう授業を計画したのです。

生卵を育てるシミュレーションは、以前から知っていて、いつかしたいと思っていたのですが、それだけで生徒たちの気持ちを乗せる力量がないと考えた私は、出会い→結婚→出産→子育てのシミュレーションの計画を立て、生徒たちに提案しました。


生徒たちには、

「私は出産を控えて、初めての出産や子育てにワクワクしています。と同時に不安もいっぱいです。これからの授業では、3週間かけて、結婚と出産と子育てをシミュレーションしようと思います。体験しながら何を感じるか、みんなと一緒に考えてみたい。」

こんな話をした気がします。


授業をしたクラスは、1クラスのみ。

私の勤務校には、普通科の中に1クラス芸術コースがあり、他の5クラスは家庭基礎を1年生でするのに対して、芸術コース1クラスだけは3年生で履修していました。


この芸術コースのメンバーが、めちゃくちゃ個性的で感性の塊みたいな生徒たちの集まりでした。

ともすれば、はちゃめちゃになりそうなクラスでしたが、3年間、このクラスを担任されていた先生が上手に舵取りされて、絶妙なバランスを保っており、3年間でしっかり熟成された人間関係の中、何事にも全力投球する、笑い声の絶えない若いエネルギーに溢れているクラスになっていたのです。


高校生は、3年間で、心も身体も成長します。

社会に出る直前の3年生では、家庭科を受ける心構えも違っていて、興味のあることには、みんな前のめりで授業を受けてくれていました。と、同時に関心のないことには、あの手この手で授業の脱線を試みてきます。ある日、授業に行くと、「先生、みんなで先生のおなかの赤ちゃんの名前を考えてきました!」と、それは明らかに、団結して計画的に授業の脱線を狙った期待に溢れた眼差しで、見つめられもしました。(38個の娘の名前の候補、大きくなった娘に見せたら大喜びでした。ありがとう飛び出すハート


家庭科のいいところは、どんな話題でも、家庭科に結びつけられること。色々な話題にも受けて立ち、うまく授業の内容に結び付けられた時には、心の中でガッツポーズをしたものです。


そうして鍛えられた私は、このクラスなら、この生徒たちなら、私のやりたかった授業に応えてくれるのではないかと言う確信を持つようになりました。


私は、通常とは異なった授業をする時、その効果を検証するため、論文を書くという形で記録を残すことがあります。


この授業もアイデアが浮かんだ時から計画的に準備を始めました。

区役所に、婚姻届や出生届をもらいに行ったり、大学の先生に、妊娠体験エプロン(10個)を借りに行ったり。

出産を3ヶ月後に控えた私は、大きいお腹で走り回って、授業の構想を練りました。


そして迎えた授業初日。

「私は初めての出産や子育てにワクワクしています。と同時に不安もいっぱいです。これからの授業では、3週間かけて、結婚と出産と子育てをシミュレーションしようと思います。体験しながら何を感じるか、みんなと一緒に考えてみたい。」


こうして授業は始まったのです。


最初に行ったのは、デートゲーム。

一週間毎日違う相手とデートをして、結婚相手を1人に絞るというコミュニケーションゲームです。

結婚は、してもしなくてもOK。しかし、シングルを選択しても、その後の出産、育児には参加してもらうこととしました。


7人の相手と3分ずつのデートをして相手を1人に絞り、婚姻届を書いたら、妊娠体験です。交代で妊婦体験エプロンを着て妊婦の大変さを知りながら、妊娠→出産の動画を見せました。


その後迎える育児体験。

授業の山場である生卵を渡す時、私は、

「2週間、この子たちを我が子として、毎日、学校の行き帰りを共にしてもらいます。学校に来たら、私が家庭科室(保育園)で預かります。くれぐれも育児放棄(ネグレクト)して、机の中や学校のロッカーに置き去りにしないでください。」と、話しました。


「2週間後、この子たちにおやつを作る調理実習をします。作るおやつはホットケーキです。ホットケーキの材料は準備するので、トッピングは自由に持ってきていいですよ」

このおやつの実習は、2週間の育児を頑張った生徒たちへのご褒美実習として計画しました。


ここで、私は調子に乗って、こんな話をしました。

「しかし、このホットケーキ、全員が作られるわけではありません。みなさん、卵は常温で2週間もつことを知っていますか?スーパーでも、卵売り場は常温ですよね。」「と、言うことで、卵を割らずに2週間過ごせたカップル(もしくはシングル)のみホットケーキが食べられますので、頑張って育てましょう!」


実際には、全員新しい卵でホットケーキを作らせるつもりだったので、生徒たちにやる気を出させるための偽りでした。今考えると、こんな条件つけなくても、生徒は頑張ったと思うんですが、サバイバルゲームのように仕立ててしまったのです。


結局、私は種明かしをしないまま2週間を過ごし、ホットケーキを作る授業の日も、

「みなさん、子育てお疲れ様でした。何が大変だった?」と意見交換をさせた後、「赤ちゃんを無事守り抜けた人?」と、挙手させ、「それでは、このメンバーでホットケーキを作りましょう」と、ここまで引っ張った気がします。


生徒たちは、案の定、

「えー!我が子を割るなんて、絶対イヤー!先生、鬼!」

「私たち、ホットケーキ作れないの?」

大騒ぎになる教室をひとしきり楽しんだ後…



「と、言うのは冗談で、全員新しい卵を準備しています。みんなでホットケーキを作りましょう。みんなの大切な子どもは、下に小さな穴をあけて中身を抜いて持ち帰ってくださいね。」

と、いう流れで調理実習をしました。


授業時間外の活動を入れて、ちゃんとのってくれるのか。生徒たちの反応が毎回気になる私は、不安な気持ちを抱えながら、それを感じさせないように、テンションを上げて授業に向かい、陽気な感じで演じていたのを思い出します。


常温で卵が2週間もつと言うのは本当ですが、育児シミュレーション後の卵は、割れてないと思っていても小さなヒビが入っているかもしれないし、どんな状況下で持ち歩いたかも分かりません。食用にするには不向きです。


私の冗談のせいで、エムコちゃんの脳裏に強く間違った情報がインプットされてしまったこと、深く反省しています。この場を借りて謝りたいと思います。


今月発売されたエムコちゃんの初エッセイ本「置かれた場所であばれたい」のあとがきには、エムコちゃんのエッセイ「女子高生の私が学生結婚した話」に寄せられた非難の声についても記してあります。


「1週間も常温で持ち歩いた卵を生徒に食べさせるなんて信じられない」

→自業自得だと反省しています。

私が調子に乗ったために、エムコちゃんの心に間違った情報を深く刻み込んでしまいました。


「この先生は結婚や出産の価値観を押し付けている」

→ごもっともです。

授業は、結婚はしてもしなくても自由に選べる設定にしており、実際には、2人シングルを選んだ生徒がいたのですが、子育ては全員させる設定で授業を組んでいました。


エムコちゃんから、エッセイがバズったと連絡があり、大半が肯定的な意見だけど、一部、批判的な意見があって申し訳ないと頭を下げられた時、そんな意見もあるだろうなーと妙に納得しました。そして、若い未熟な授業に反省しきりでした。 

でも、体当たりで本気の授業をしたから、卒業から10年経ったエムコちゃんの心にも残ってくれたのだと思い、あの時、あの授業をしたことを誇りに思っています。


論文に載せた授業後の生徒たちの心の動きです。





生徒たちの感想









本気の授業に、本気で応えてくれた生徒たち。そして、受験真っ只中に、このような授業をしていることをあたたかく見守ってくださった周りの先生方に感謝しています。改めて、素敵な生徒たちや素敵な同僚の先生方に出会えたことに感謝しています。


授業の効果です。



思い入れのある、大切な授業ではありますが、後にも先にも、この授業は、教員人生で一度だけになると思います。

生徒との巡り合わせや、初出産を控えていた時期であったこと、偶然が重なりできた授業だと思うからです。(デートゲームや妊娠出産の動画などは、単発でしたり見せたりしています)


教員になって四半世紀が経ちますが、「目の前の生徒たちに役立つ授業を」「今後の人生のきっかけになる授業を」と考えながら、日々模索しています。


卵ちゃんの授業に代わる授業になるか分かりませんが、今年度初めて取り組んでいる、マイクロディベートの授業です。


このマイクロディベートも、卵ちゃんの授業と同様、20年以上、できたらいいなと心の中であたためてきた授業でした。


人生は、選択の連続です。


「大学生になったら1人暮らしすべきか否か」

「結婚すべきか否か」

「夫婦別姓制度を導入すべきか否か」

「親として、子どもにゲーム時間の制限をすべきか否か」


他にも「朝食はパン派ご飯派」「買い物は現金派キャッシュレス派」など身近な話題から、「生成AIを活用すべきか否か」など時代に即した話題まで。正解のないテーマについて、生徒たちにはとことん議論してもらいました。


生徒は、自分たちで学ぶ力を持っています。

私が教壇で教える知識より、友だちと意見を交わし合うマイクロディベートは、ずっと深いことを学べると思います。そして、友だちと学び合ったことこそ、深く心に刻まれるのだと思います。


最後になりましたが、色々なことを振り返らせてくれ、気付かせてくれたエムコちゃんに心から感謝しています。


「置かれた場所であばれたい」潮井エムコ

全てのエッセイが愉快で、そして胸が熱くなります。



この本をくれた約一週間後、エムコちゃんはお母さんになりました。


あの時の授業の頃の私と同じ、初出産を迎えたエムコちゃん。感慨深くて、涙腺が緩みました。


どんな視点でどんな子育てをするんだろう。


一読者として、今後のエッセイも楽しみにしています。