私が、弁護士になり、それなりの収入を得始めた時、通っている教会である程度の献金を行っていた。その教会では献金の額が信徒の評価を左右する所で、多額の献金を行っている信徒が、それを誇り、時には自慢げにその献金額の話をする習慣があった。
しかし、私が、病気や多額の負債を抱えて献金をすることができなくなり、その教会を去らざるを得なかった。
その話を聖えりか様に伝えて、自分が教会に貢献できなかった信徒であったことを悔いていると、聖えりか様はおっしゃった!
聖書の言葉に忠実であることの意味をコニタンはまだよく理解されていないのですか?
私がある聖書の御言葉を引用してご説明いたします。
「また、ある支配者が彼に質問してこういった。『善い師よ、何をすれば、わたしは永遠の命を受け継げるでしょうか?』イイススはいわれた、『なぜわたしのことを善いと呼ぶのですか?ただひとりの方、神のほかには、だれもいません。あなたは掟を知っています。【姦淫をしてはないけない、殺人をしてはいけない、盗んではいけない、偽りの証しをしてはいけない、あなたの父と母を敬いなさい】』。すると、彼はいった。『わたしはそれらをみな若い時からずっと守ってきました。』それを聞いてから、イイススはいわれた、『あなたには足りないことがまだ一つあります。あなたの持っている物をみなすべて売って、貧しい人々に配りなさい。そうすれば、天に宝を持つようになるでしょう。それから、来て、わたしの追随者になりなさい。』これを聞いて、彼は非常に悲しんだ。彼は非常に富んでいたからである。」
この聖書の御言葉をコニタンはどのように解釈されますか?
私は、「富に執着してはいけないという意味ですか?」と尋ねると、聖えりか様はまるでマグダラのマリアのような微笑みを浮かべていわれた。
「確かに、富に執着せず、主なる天の父の御言葉を第一にすることは大切なことです。しかし、よくよく考えてみてください。御子イイスス・ハリストスがこの支配者を叱ったのは彼が主なる天の父に対する信仰において奢りがあったからだと思いませんか?彼は御子イイスス・ハリストスに、あなたは王国に入ることができますと当然いわれるものと考えていたのではないでしょうか?大事なことは、献金の額ではなく、主なる天の父の教えに貢献するために献身的な心で献金をされることが大事なのです!だから、ご自身のできる範囲で主なる天の父の教えを実践されることをお勧めいたします。あなたの奉仕を評価されるのは、あくまで主なる天の父なのです。そのことを常に心に留めておいてください。」と聖書の御言葉を引用して分かりやすく説明されました。
私も聖えりか様のように献身的奉仕ができるようになりたいのです。
聖えりか様の御言葉を聞いて聖書を多くの方々が手に取ることを御子イイスス・ハリストスのお名前を通してお祈り致します。
アーメン