めずらしく聖えりか様から、「コニタン、欠かさず毎日祈っていますか?」と問われたことがありました。食事の前などは欠かさずといいたいところでしたが、やはり外食の多い私としては人前で祈ることがまだ恥ずかしいという思いがあり、就寝前などは疲れていてつい眠ってしまうこともしばしばということでしたが、何よりも聖えりか様のように主なる天の父への信仰の凝縮した言葉がすらすらと出てこないことが問題でした!
そこで、お祈りについて率直に聖えりか様に尋ねることにしました。
すると、聖えりか様は戸棚から聖書を取り出すとまるでマグダラのマリアのような微笑みを浮かべて語り始められました。
コニタンのような弁護士の方でも言葉選びに苦労されることがあるのですね。
では、次の聖書の御言葉を読んでみましょう。
「さて、イイススがある場所にいて祈りをしておられた時のこと、それを終えられると、弟子のある者がこういった。『主よ、ヨハネもその弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りの仕方を教えてください。』そこで、イイススは彼らにいわれた。『いつでもあなた方が祈るときはこういいなさい。「父よ、あなたのお名前が神聖なものとされますように。あなたの王国がきますように。その日の必要に応じてその日のためのパンをお与えください。また、わたしたちの罪をお許しください。わたしたち自身も、わたしたちに負い目のある者すべてを許しますから、そして、わたしたちを誘惑に陥らせないでください。」』
イイススはさらにこういわれた。『あなた方のうち、友人がいて、真夜中にそのもとに行き、「友よ、パンを三つ貸してください。友人が旅の途中でちょうど今わたしのところに来たのですが、出す物が何もないものですから。」というのは誰でしょうか。そして、その人が中から答えてこういうのです。「わたしを煩わすのはよしてくれ。戸には錠が下ろしてあるし、幼子たちはわたしと一緒に寝床に入っているのだ。起きていってあなたに物をあげることなどできない。」あなた方に言いますが、その人は自分が彼の友だということでは起きて物を与えないとしても、その大胆な執拗さのゆえには、必ずや起きてきて必要とする物を与えるでしょう。それゆえにわたしはあなた方に言います。求め続けなさい。そうすれば与えられます。探し続けなさい。そうすれば見いだせます。たたき続けなさい。そうすれば開かれます。誰でも求めている者は受け、探している者は見いだし、また、たたいている者は開かれるのです。実際、あなた方のうちどの父親が、自分の子が魚を求める場合に、魚のかわりに蛇を渡すことがあるでしょうか。あるいは、また卵を求める場合に、さそりを渡したりするでしょうか。それで、あなた方が、邪悪な者でありながら、自分の子供に良い贈り物を与えることを知っているのであれば、まして天の父は、ご自分に求めている者に聖霊を与えてくださるのです。』」
このように、まず主なる天の父のお名前を賛美するのです。そして、何より熱心に求めることが大事なのですわ。毎日欠かさず、義なる生き方ができるように主なる天の父に聖霊を求めるのです。そうすれば、主なる天の父は必ずコニタンに聖霊を与えて助けてくださいます。続けることこそ大切なことなのです。
さあ、本日も心を込めて感謝の祈りを捧げましょう。
コニタンは、非常に多くの世俗の煩いごとの中にあっても、主なる天父への感謝の気持ちを忘れていません。コニタンは、今後主なる天の父に祈りを続ける決意をしました。その感謝の祈りに絶えずコニタンのそばにあり、聖霊をお与えくださいますよう御子イイスス・ハリストスのお名前を通してお祈り致します。
アーメン