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聖マグダラ法律事務所「聖えりか様の教え」

東京都墨田区吾妻橋1-11-7パークウェル浅草504聖マグダラ法律事務所はえりか様から教えを受け、クリスチャンの博愛の精神で事務所運営を行っております。
これまでの沿革及び最近の出来事などをこのブログで皆様へお伝えします。電話03ー6240ー4932

私は、ある時聖えりか様が修道院に入られるときいて急いでお会いしにいったことがありました。というのも、修道院に入られた聖えりか様には2度とお会い出来ないかもしれないと思ったからです。
すると、聖えりか様はいつものように戸棚から聖書を取り出すとまるでマグダラのマリアのような微笑みを浮かべて語り始められました。
すこし学術的な事柄になりますが、コニタンでも理解できると思いますので、修道会についてお話したいと思います。
コニタンは、カルメル山の至聖のおとめマリアの修道会をご存知ですか。
その起源となる名称が語るように、創立日に関しては歴史的におおよそが分かるのみですが、初期の歴史は伝説と混在しています。12世紀に、十字軍参加者の巡礼者が、聖地のカルメル山上にあるエリヤの泉に近い洞くつに定住しました。彼らは、旧約聖書の預言者エリヤを自分たちの隠遁生活の模範としており、旧約聖書の列王記第一の聖書の御言葉を一緒にご覧ください。
「そこで、彼はついにある洞くつに入って、そこでその夜を過ごそうとした。すると、見よ、彼のために主なる天の父の言葉があって、こういった、『私は万軍の神、主なる天の父のために徹底的にねたんできました。イスラエルの子らはあなたの契約を捨て、あなたの祭壇を壊し、あなたの預言者たちを剣で殺したため、ただ私だけが残ったからです。彼らは私の魂を取ろうとして捜し始めています。』ところが、それはいった、『外に出て、山の上の主なる天の父の前に立ちなさい。』すると、見よ、主なる天の父が通り過ぎておられ、主なる天の父の前で大きな強い風が山々を引き裂き、大岩を砕いていた。そして、風のあと振動があった。そして、振動の後に火があった。それから、火の後に、穏やかな低い声があった。そして、エリヤがそれを聞くや、直ちに職服で顔を包み、外に出て、洞くつの入り口に立ったのである。すると、見よ、彼のために声があって、こういった、『エリヤよ、何の用でここへ来たのか。』これに対して、彼はいった、『私は万軍の神、主なる天の父のために徹底的にねたんできました。イスラエルの子らはあなたの契約を捨て、あなたの祭壇を壊し、あなたの預言者を剣で殺したため、ただ私だけが残ったからです。彼らは私の魂をとろうと捜し始めています。』」
この聖書の御言葉をモットーにしてカルメル修道会は、エリヤを守護聖人としています。
このカルメル会の最初の修道士たちは、創立者も義務とすべき会則もなく、隠修士としてではあるが、ゆるやかな共同体の中で、極貧と厳しい修徳の生活を送っていました。1206年から1214年の間にようやく修道士たちは、会則あるいは生活の規則を与えてくださるようにエルサレムの総大司教アルベルトに申し出しました。この最初の会則は「昼も夜も主の掟を黙想すること」「祈りのうちに目覚めていること」、償いと禁欲を伴う孤独のうちに生きることという戒律によって、カルメルの修道士たちの純粋な観想生活を保障することとなりました。修道士たちはほとんど孤独に一人で祈りを行ったのです。
しかし、コニタン、よく考えてみてください。
主なる天の父は、聖書をすべての民族、あらゆる国語の民に述べ伝えるように御子イイスス・ハリストスを通してわたしたちに伝えています。このような隠遁生活は一見崇高なもののように見えるかも知れませんが、主なる天の父のご意思に適ったものかは疑問です。私は修道院に入るにしても、カルメル会のような隠遁生活をするつもりはなく、聖書を述べ伝える業を実践していきたいです。
コニタンは、本日信仰生活を具体的にどのように実践していくかを考える機会を得ました。修道会というものが果たして模範的な信仰生活かどうか考える機会も得たのです。これからもコニタンが信仰をより深めるために聖書をよりよく理解して、その教えを実践していけるよう聖霊のお力をお与えください。勉強を終えるにあたって、信仰の模範者御子イイスス・ハリストスの尊いお名前を通してお祈りいたします。
アーメン