久しぶりのブログ更新なのに、なんちゅうタイトル。


もう1月も3分の2過ぎましたが、今年もよろしくお願いします(遅ーい!)。





前回の記事で、娘のお弁当が最後かも!?と書いたものの、その後も何やかやイレギュラーに作っております。


でも作ろうと思っていたら「要らない」と言われたりもするので、いつが最後になるか、作っている時点ではわからないのがミソ。


登校日もまばらで、しかも人によって違うため、最近になりやっと把握したところです。


受験シーズン真っ只中で、そちらのサポートもけっこういろいろあり落ち着かない日々です。


間の悪いことに、大規模な新年会の幹事チームにも入ってしまっていて、それが終わるまで気が抜けなかったです。


そんなこんなで、心の中が吹き荒れるような慌ただしさを感じていた時、フーッと楽になった瞬間がありました。


それは「キャンドルを灯した時」でした。







毎朝モーニングページを書くだけでも、一応気持ちはスッキリしますが、そこに強力な後押しをくれたのがキャンドルでした。


机の上の狭い空間でも、目の前にノートがあり、キャンドルが灯っていれば、「自分だけの空間」と思うことができます。


時間に追われる中でも、少なくとも今、ここだけは落ち着いて過ごせる安全な場と、自分で決めました。


ずーっと浮き足立っていた気持ちが鎮まり、心地よさを感じることができたんです。


で、タイトルの「むしり取る」ですが


簡単に思える「ノートキャンドル」(あ、お茶もだ)も、最初からわかっていたわけではないんです。


モーニングページを書こうとしてもなお、ソワソワと落ち着かない自分を持て余し、そーだキャンドルは⁇と思いついて、火をつけてみたら、いきなり深ーい安心感。


今の自分に必要なことは、試行錯誤して探り当てるしかないんですね。


気持ちが弱っている時は、その試行錯誤さえも億劫だったりします。


だから厄介なのですが。


実は試験会場に向かう娘にいつも冗談めかして言っているのが「1点でも多くむしり取るのよ!」というセリフです。


娘は笑っていますが、この精神って大事なんですよ。


でも人に言うばかりでなく、自分にとっても「心地よさをむしり取る」の大事だなと思いました。


なんならキャンドルを取り出すのさえ面倒に思ったり、火をつけようとしたらチャッカマンの燃料が切れていたり。


大袈裟に聞こえるかもしれないけど、「むしり取る」精神がないと、ささやかな心地よささえ実現できないんですねー。


お気に入りのキャンドルにめぐり合うのだって、必ずしも簡単ではありませんから。






でも自分を立て直すために、それだけ労力をかける価値はあると思うんです。


幸い今はなんとなくやり方が確立されたので、毎日炎のゆらめきに癒されつつ、モーニングページ書いております。