祇園祭の山鉾 | 能楽師 片山伸吾のblog『冷吟閑酔』

能楽師 片山伸吾のblog『冷吟閑酔』

生粋の京男の片山伸吾が、時には舞台人として、時にはただのおっさんとして、日々の出来事を気ままに綴っていきます。

山鉾巡行の今日、それぞれの山鉾についてちょっとしたお話。

今年の話題の中心は大船鉾の再興。本格的な巡行参加は来年以降となるが、今年より御神面を入れた唐櫃(からひつ)による特別な形での巡行復帰となる。大船鉾はもとより『※後の祭り』のしんがりだったため、近年ずっと最後方だった南観音山に代わりトリを務めることとなる。——※御存知の方が多いと思うが、元々巡行は二度行われていて、『先の祭り』のほうが巡行する山鉾の数も多く華やかなものが多かったことから、手遅れだとの意味を表すことわざとなった。

それが故に、今年の『後の祭り』の巡行順には変化が見られる。明治5年より先頭を務めていた北観音山とその後の橋弁慶山の順番が入れ替わる。これは『祇園社記第十五』に書かれた明応9年(1500)年6月6日の鬮取に依ると、『先の祭り』の長刀鉾と同様に、『後の祭り』では橋弁慶山が「先規(先の規定)ヨリ一番也」と記され、応仁の乱前より鬮撮らずで先頭だったことが明らかなためである。また最後方を譲った南観音山は、今年から29番目という位置でクジ取らずとなる。そういう意味からもいつもとは少し違った光景が見られる巡行となる。

山鉾の大きさとはどれくらいだろうか。長刀鉾などの大型の鉾は10トン前後、その他の山鉾は0.5~1トンの重量で、山には大型の鉾と同様の規模の曳山(ひきやま)と、小型で神輿の様に担いで巡行する舁山(かきやま)とがある。現在では舁山にも車輪が付いている。また傘鉾は往時は人が傘を手に持ち巡行していたが現在は台車に乗せられている。

さて近年は32基の巡行が固定化されているが、前述の『祇園社記第十五』には、応仁の乱以前の巡行順が記載され、実に58基もの山鉾が参加していたらしい。そこには現在に残る長刀鉾、函谷鉾などの名前の他に、聞き慣れない名前もたくさんある。小判もち山、はねつるべ山、花見の中将山、おかひき山、だるま鉾、ふすま僧山、しゃうめう山、泉の小二郎山、れうもんの瀧山などなど。
また現在と呼び名の違う山(柳の六しゃく=現・鯉山、普陀落山=現・南観音山、やうゆう山=現・北観音山)や、すて物鉾などのように由来さえ想像できないようなものもある。

現在も我々のジャンルの『能・狂言』の曲から由来するものは多くあるが、以前は更に天鼓山、自然居士山、那須の与一山、朝比奈もん山、小原木の山、西行山、韋駄天山、氷室山、こかうのたい松山(小督から取ったとされる)などがあったというから、素材として最も重宝されていたジャンルといっても過言ではないだろう。

いずれにせよ、祇園祭が京都の本当の意味での町衆のお祭りとして伝えられてきていることは明らかで、その歴史を紐解くだけで、京都の文化の変遷までもが酌み取れる。京都人が特別な思いで祇園祭と接するのも、当然のことだろう。

個人的には大船鉾の完全復活も楽しみであるが、あと二つ休み山となっている、布袋山と鷹山の復活も望ましい。特に曳山の規模だったとされる鷹山を、是非見てみたい。