家を出てからこれまでずっと順調に進んできたと思う。

 

最初は『やってしまった』という気持ちが強かった。

 

家を出たことで夫をより怒らせ、もう戻る場所が無くなったと感じていた。

 

私の十年ちょっとは何だったのだろうと気持ちもふさぎ込んだ。

 

だけど、離れてみてようやくあの生活の異常さに気づくことができ、後ろ向きな選択などではなかったのだと感じることができた。

 

もし気持ちが揺らいだとしても。

 

常に家族が支えてくれたので後戻りせずに済んだ。

 

そんな風に思っていたが、息子の気持ちは私とは同じようには行かないのだと思う。

 

今回、おじいちゃんに対して父の日のお祝いをしたのがきっかけかもしれない。

 

当日は父も嬉しそうだったし、息子だって思い切り楽しんだはずだ。

 

美味しいものを食べてお手紙も渡した。

 

みんなで集まると大きなテレビで映画を見たりゲームをしたりする。

 

そんな時間もこれまで息子の心を溶かしてきた。

 

子どもたちが仲良く遊んでいる時、ふと会話が耳に入ってきた。

 

その内容というのが、姪っ子たちが兄に対して何をしたかというものだった。

 

そりゃー父の日だから姪っ子たちからしたら本来兄に対して祝う日になるだろう。

 

傍から見ていたらごく自然な会話のように思えた。

 

でも、息子はそれを聞いた瞬間少し表情が曇った。

 

ほんの僅かな変化だったのだが、はっきりと分かってしまった。

 

単純な息子は思っていることが顔に出てしまう。

 

悲しい時は思い切り悲しそうにするし、楽しい時には周りが驚くほどはしゃぐ。

 

家を出る前は常にフラットな子だと思っていたのだが、どうやら違っていたみたいで。

 

意外と喜怒哀楽のハッキリとした子なんだなぁと驚くことがある。

 

そのせいか、この時の表情の変化もハッキリと見て取れた。

 

その顔を見た途端、『あぁ寂しいんだな』と分かってしまった。

 

産まれてからずっと一緒に居たのだから。

 

あんな父親でも思うところがあるのだろう。

 

私だって家族連れを見るたびに羨ましいと思ってしまう。

 

仲睦まじく楽しそうにしている家族を見ると、つい私たちには何が足りなかったのだろうと考える。

 

でも結局、こちらがいくら頑張ったところで夫は何も返してくれないのだから。

 

どこまで行っても幸せな未来なんて無かったのだということも理解している。

 

 

 

 

私たちの生活はいわばgive&giveだった。

 

ずーっと与え続けないと成り立たない生活。

 

そして与えるものが夫の意にそぐわないとバツが待っているという生き地獄。

 

決して対等ではなかった夫婦関係。

 

とても歪で、常に認められることに必死だった。

 

だけどもうほとほと疲れてしまった。

 

それなのに、ふと『まだできることがあったんじゃないか』と思うこともある。

 

それを言うと兄からはいつも叱られる。

 

お前は精一杯やったんだから、もう考えるな、と。

 

そう言われてもなお心に引っかかるものがあった。

 

そのモヤモヤの正体が今回初めて分かった気がする。

 

もしかしたら、私は息子が心の片隅で夫を求めている部分があることに気づいていたのかもしれない。

 

だからといって元の生活に戻るという選択肢も無い。

 

だから、その気持ちを薄めていくしかない。

 

ここ数日、息子は寝る前にタオルをイジイジしながら何か考えているように見える。

 

心の内までは分からないが。

 

もし夫のことを考えているのなら………。

 

どうか早く忘れて欲しいと思う。