カウンセリングの時、思いがけず息子の本心を聞くことになった。

 

私は『大嫌い』『絶対に会いたくない』『嫌なことしかなかった』と感じているに違いないと思っていた。

 

それなのに、息子の本心は違っていた。

 

あれほど虐待されたのに、良い思い出もあるのだと言う。

 

息子にとってみれば実の父親。

 

多少の愛情や慕う気持ちが残っていても不思議ではない。

 

でも、これまでのことを考えて私はその可能性を否定したのだ。

 

夫の虐待によって酷く痛めつけられて。

 

そんな気持ちはとっくになくなっているのだと思い込んだ。

 

叩かれたり蹴られたり外に放り出されたりご飯をもらえない日があっても。

 

それが永遠に続くわけではなかった。

 

一定の期間が経つと急に穏やかになって優しく接するようになる。

 

猫なで声で息子に話しかけ、好きなお菓子を与えたりパソコンで映画を見せたり。

 

時には欲しがっていたおもちゃを買い与えることもあった。

 

大人だったら、そういう時はきっと贖罪の気持ちからそうしているんだろうなと思えるんだけど。

 

息子にはそれがまだ理解できない。

 

怖い時と優しい時。

 

両方の面を持っているお父さんと考えるだけ。

 

ただそれだけ。

 

その優しさに理由があるのだとか裏を読むことはできない。

 

まだ小学校中学年なのだから仕方がない。

 

相手は巧みだもの。

 

見抜けと言われたって難しい話だ。

 

よく知らなければ大人でさえ騙されてしまうような狡猾な人。

 

夫を一言で表すとしたら、この狡猾な人というのが一番しっくりくる。

 

純真な息子はきっと夫の言うことを信じ、未だに心のどこかで信じているのだと感じた。

 

 

 

 

これで今の状況を夫が何故私のせいにしているのかも分かった。

 

息子の性格を熟知しているから。

 

縁を切るほどとことん嫌われていることはないと考えていたのだと思う。

 

だとしたら会わせないようにしているのは私だ、という結論に達するのはごく自然なことだった。

 

実際に、もうこれ以上影響を受けて欲しくない。

 

夫は表面上を取り繕うのが上手いので言葉では決して太刀打ちできない。

 

だから会わせないようにするしかない。

 

一番懸念しているのは、優しい言葉に流されて『お父さんが可哀そう』と思い始めることだった。

 

現に家を出たばかりの頃、夫を心配するようなそぶりを見せていた。

 

そういう理由で今とても焦っているんだけど。

 

強い言葉で父親との関係を断絶させるようなことはしたくないとも思ってしまった。

 

押さえつけるのでは夫と同じだから。

 

息子が自然にそう思えるのを待てるのが一番良い。

 

それが理想的だと分かっているけど、内心では早く理解できるようになれば良いのにと思ってしまう。

 

色々考えていたらいつになく神経質になってしまい、それが生活にも表れている。

 

家の中で少しでも夫を想起させるようなものが目に入ると徹底的に隠したりして………。

 

これじゃあ何の問題もない相手から子どもを引き離して一方的に会わせない人たちと変わらないのかな。

 

これまでは『息子の気持ちを大事にして欲しい』と夫に対して不満を持っていたけれど。

 

私もちゃんと見ていなかったのかな。