8年前に名古屋で起きた教育虐待殺人事件。

 

被害者はまだ12歳だった。

 

その頃の息子は小さくてお勉強なんてする年齢でも無かったからかな。

 

当時はこのニュースを知らなかった。

 

だけど、数年前に偶然知り、その記事読み進めていくうちに夫に似ていると思った。

 

中学受験のために毎日努力を強いられていた被害者。

 

父親に怯えながら頑張っていたのだと思う。

 

だけど指導はどんどん厳しくなっていった。

 

最初は声を荒げたり叩いたりするような感じだったのだが。

 

次第にカッターナイフで威圧するようになった。

 

小6の頃には机や教科書に刃物を立てるようになったそうだ。

 

教育虐待というのは大抵がエスカレートしていく。

 

我が家もそうだった。

 

はじめは園児の息子に難しい算数をスパルタで教え込んでいた。

 

それが小学校に上がったら更に厳しい課題を課すようになった。

 

6歳の子どもが12時過ぎまで勉強をさせられるって信じられますか?

 

子どもは親の思う通りになんていかないから。

 

夫もその父親も上手くいかないもどかしさや苛立ちを全て子どもに向けたのだと思う。

 

事件の加害者である父親は犯行の前に車で被害者を連れ出した。

 

そして、車内で脅しながら刃物で傷つけたという部分には思わず目を背けた。

 

勉強態度について説教したらしい。

 

最後は激高した父親が被害者の胸を刺し、失血により亡くなっている。

 

 

 

 

そこまで行く前に何とかならなかったのだろうかと苦しくなる。

 

その家では母親が父親に対して意見を言えないような雰囲気だったようだが、これも同じだ。

 

「中学受験をしたこともねえヤツがガタガタ言うんじゃねぇ」

 

と言われて言い返せるような奥さんならエスカレートしにくい。

 

私も止めようとして色々考えて懸命に意見を言っていたのだが、それらは全て却下されて、

 

「ろくな意見も代替案もないくせに口出すな!」

 

と怒鳴られた。

 

うちの夫はもともと冷淡で相手のことを容赦なく攻撃する。

 

だから、このような状況に『なるべくしてなった』というのが正しいだろう。

 

でも、事件の父親は元々は暴力的な人ではなかったのに中学受験をきっかけに変わった。

 

もし誰かが。

 

刃物でえぐられた机や傷ついたノートを見ていたら。

 

必死で何とかしようと動いたかもしれない。

 

だけど、こういう事件は家の中で起こることが多いので、明るみになってから初めて知ることになる。

 

まだたったの12歳だった被害者のことを思うと胸が痛い。

 

さぞかし無念だっただろう。

 

私たちだって、まだあの家に居たら同じような状況になっていたかもしれない。

 

彼らにはゼロか百しかない。

 

満足できるレベルは百に達した時だけなのだから。

 

ほとんどのことは許されない。

 

だから、奇跡でも起きない限りは虐待されることが最初から決まっているのだ。

 

虐待サバイバーの息子は自己肯定感が低くて自信が無かった。

 

この数か月でずい分良くなったように見えるが………。

 

もし息子の心に一生消えないような傷が残っているのなら。

 

夫も同じような目に遭えばいいのにと思ってしまう。

 

せめて『悪いことをした』と気づいてくれたら良かったのに。

 

夫には罪悪感さえない。

 

それが許せない。