夫が何をしようと企んでいるのかが分かった。
夫婦関係調整調停での『円満』というのを考えているらしい。
調停って離婚したい人のためにあるのだと思っていたんだけど。
夫婦としてやり直したい時にも利用するものなんだね。
こういうのを一方的に申し立てられても困ってしまう。
私も調停については調べていたが。
まさか円満な夫婦関係を取り戻すための調停もあるなんて。
あまりにも無知すぎた。
そして、やっぱり目指している方向が違うのだと再認識した。
私や息子は既に離婚の方向を向いていて、過去の生活を取り戻したいとは思っていない。
良いこともあったんじゃないの?という人もいるが。
たとえあったとしても、それが全て帳消しになるくらいに辛いことばかりだった。
息子が一人前になったら自由にしてあげて、私はひっそり消えてしまいたい。
そんなことばかり考える毎日だった。
でも、一人前になるまで我慢すること自体がもう虐待なのだと気づいた。
我慢しているのは私だけでなく息子も同じで。
虐待という暴力はほぼ100%息子に向けられている。
それなのに大きくなるまで我慢しろなんて、それこそ親失格だと思った。
目が覚めてからは離れるための準備ばかり考えていて。
夫がどんな風に思っているかなんてこれぽっちも頭になかったけど。
相手の気持ちを考えすぎると、また可哀そうになって動けなくなるからこれで良かったのだ。
それに離れることに集中しないと弱気になってまた『今のままでもう少し』という気持ちも出てきてしまう。
離れたいと思い始めてからは、暇さえあれば必死に逃げ出すことを考えた。
その結果が去年の夏の脱出劇だ。
私の人生であれほど必死に何かを成し遂げようと思ったことなどない。
逃げ出せたら全て解決するのかと言われたら違うと思うけど。
生きるためには逃げるしかなかった。
今の平穏な生活でしみじみと感じているのは、あのような環境に居ると思考がおかしくなるということ。
夫の言うことは絶対だと思い込まされていたけど本当は違った。
別に夫の言いつけを守らなくても酷いことは起こらないし、息子が非行に走ることもない。
破ったことで課されるペナルティもない。
自由ってこんなにたくさん息を吸えるんだと感動したのを今でも覚えている。
夫は調停までしてあの生活に戻りたいのだろうか。
それは、私や息子が奴隷のように言うことを聞いて快適だったから?
それとも世間体を守るため?
今私は他の人たちの経験談を読み漁っている。
そして、あぁ自分たちだけじゃなかったんだと安堵する。
感じる必要のない罪悪感と闘う7カ月は、あっという間だった。