『息子の誕生日に携帯を贈りたい』と言われ、キッパリと断った。
そんな物を送り付けられたら、嫌でも連絡を取らなければならなくなってしまう。
息子自身がそれを望むはずもないので、『要らない』と拒否した。
断ったことでその話は終わったのだと思っていた。
それなのに、後日性懲りもなく送り付けてきて、うっかり母が受け取ってしまったというのはこのブログにも書いたのだが。
その携帯を今は夫が使っているらしい。
勿体ないから。
無駄になることを分かっているのに、無理やりにでも送り付けようとしてくる神経が分からない。
『お金が無い』と言いながらも、そういうのには使えるんだね。
その挙句、使わないままなのは勿体ないからと自分用にするという………。
何でも綿密な計画を立てて失敗しないように行動する人だと思っていたけれど。
こういうやり取りをしていると、それほど賢くないのではないかと思えてくる。
自分だって携帯を買ってからそれほど経っていないのに。
無駄にするのが嫌だったら、断られた時点で諦めれば良かったのでは?
きっとゴリ押しすれば自分の思い通りになるとでも思っていたのだろうが、携帯の件は絶対に受け取れない。
もしこれが私と息子だけで対応しなければならなかったとしたらオロオロしたかもしれない。
でも今は正しい判断をしてくれる人たちが周りにいる。
受け取ってもらえる可能性は限りなくゼロに近かったのに、それでも一縷の望みをかけて夫は購入した。
何というか、そこまでの熱意があるのならもう少し息子を大事にできたのではないだろうかと思う。
大切にしなかったから今の状況がある。
それなのに、まるで自分が被害者みたいな振る舞いをしている。
『可哀そうな俺』が少しでも息子とつながりたくて携帯を購入した。
でもそれさえも妻に拒否されてしまったから、仕方なく自分で使うことにした。
っていうストーリーが出来上がっている。
しかも、息子用の携帯よりも少し前に自分用に購入した機種の方がスペックが良い。
だから余計にその行動の意図が分からない。
深読みすれば、拒絶したこちらへの当てつけの意味もあるのかもしれない。
当てつけでもそうでなくても、私たちからしたら『受け取らなかった』という事実しかないけどね。
今回のチャレンジは失敗したから、夫は次のチャンスを虎視眈々と狙っている。
『中学生になったら買い与えても良いですか』
というお伺いを立ててきたのだが、正気なのか?と驚いた。
だって中学生になる頃の話なんてずいぶん先過ぎて今話しても意味がない。
その頃になって覚えているのは夫くらいのものだろうと思うのだが。
先の約束なら少しは受け入れてもらえるとでも勘違いしているのか、『中学生になったら』を連呼している。
数年先の話を今言われてもねぇ。
その頃には息子の意思もはっきりしていて、今よりももっと拒絶されていると思うよ。
離婚後で面会もしてもらえないような状況になる可能性大だから、音信不通になっているかも。
こんな状況になっても、まだ息子と将来的につながれると思い込んでいる夫はおめでたい人だ。