妊娠中、悪阻が酷かった。

 

何を口にしても吐き気を催してしまい、通勤も一苦労。

 

固形物は口にできず、ひたすらサイダーでやり過ごす日々。

 

体重は減っていき、貧血でフラフラし、お世辞にも元気な妊婦生活とは言えなかった。

 

そんな中でも仕事は頑張って続けていた。

 

朝早く起きてご飯を用意し、夫を起こして食べた後の食器を洗ってから出勤。

 

本当は洗濯も朝にやりたかったのだが、元来お寝坊なので時間の余裕がなくてできなかった。

 

その分、仕事が終わってから買い物をして帰宅後に夕食の準備や洗濯を済ませた。

 

だから、夫が帰ってくる頃にはクタクタだった。

 

買い物では重い荷物を持ったりしていたし、遠くのスーパーにも歩いて行った。

 

車が無いから仕方がないのだが、相当お腹の赤ちゃんにも負担がいっていたと思う。

 

妊娠後期に入ると頻繁にお腹が張るようになり、検診で赤ちゃんが少し下がってきているとの指摘を受けた。

 

あまり出歩かずに安静にしているように言い渡され、自分なりに気をつけて過ごしたのだが足りなかったみたい。

 

でも、仕事や家事に追われていると、ついつい無理をしてしまう。

 

それで次の検診では更に頸管が短くなってしまい、

 

「このままでは早産になってしまうよ」

 

と言われてとても落ち込んだ。

 

そうか。

 

十分すぎるくらいに意識しないと、お腹に負荷がかかってしまうのか。

 

夫も検診についてきていたので、医師に言われたことを伝えて少し協力してもらおうとお願いした。

 

数日間はやってくれていたと思う。

 

だけど、普段はあまり家のことをしないので、自分の負担が増えたことにイライラし始めた。

 

機嫌が悪くなるのが嫌で、気を付けながら自分でやってしまうことも多くなった。

 

そうこうしているうちにお腹の張りが酷くなり、石のようにカチカチになることもあった。

 

いつものように検診に行き、お腹の赤ちゃんの様子をモニターで見ていたら、医師から

 

「すぐに入院ね」

 

と言われた。

 

 

 

 

頸管が短くなりすぎて、もう『歩いてはいけない』と言う。

 

看護師さんが車いすを持ってきてくれて、そのまま処置室に運ばれた。

 

ベッドに横になり、何やら点滴を打たれ呆然とする私。

 

夫も驚いていたが、内心ではこの時も自分の生活の心配をしていたように思う。

 

結局その日から長期にわたる入院生活を送ることになるのだが、夫は

 

「ちゃんと会社に連絡を入れといた方がいいぞ」

 

と何度も言った。

 

最初は純粋に心配してくれているのかなと思ったが、どうやら違ったようだ。

 

入院が長くなりそうだから、会社と調整して何とか続けられるように交渉しろということだった。

 

もちろん私もそのつもりだったのだが、この時は強烈な違和感を感じていた。

 

私の心配をしろとは言わないけれど、お腹の赤ちゃんに危険が及んだらどうしようとか考えないのかな。

 

まだまだ産まれる週数じゃないんだよ。

 

1キロ台で産まれたら、色んなリスクがあることは私でも知っている。

 

早産傾向による入院生活は本当に長かった。

 

最初はシャワーも浴びられなくて、張りが収まってきてからようやく浴びられるようになった。

 

その影響もあってか、息子は少し早く産まれてしまった。

 

身長も体重も小粒で、低出生体重児。

 

私がもう少し気を付けていれば、と後悔もしたが、幸いにも元気だったのでホッとした。

 

ジェットコースターのような妊婦生活を経て、とにかく無事に出産。

 

産後、まだ精神的に疲れている私に向かって、夫は急かすように

 

「いつから仕事復帰するの」

 

と聞いた時には驚いたが。

 

そうだった。

 

夫はこういう人なのだ。

 

よくよく話を聞いてみると『働かざる者食うべからず』という気持ちだったようで。

 

こんなに大変な思いをしたのに、少しも心配しないんだなと思うと少し悲しくもなった。

 

これは退院してからまだ一週間も経っていない頃の話。