電車というのは閉ざされた空間だ。

 

次の駅に到着するまでは、どこにも逃げ場がない。

だから義父に見つかってしまったことが分かった時には本当に『もう終わりだ』という気持ちになった。

 

でも、今度こそ自由になりたいという気持ちが強く、簡単に諦めるわけにはいかなかった。

義両親に相談したのだって、私にしてみたら決死の覚悟だった。

 

それなのに、また何もなかったことにされてしまう。

このまま帰ったら脱出に失敗したのだという絶望的な気持ちになって、もう次のアクションを起こす勇気が出ることもないだろう。

幸せになって欲しいと送り出してくれた両親の笑顔が脳裏にちらついた。

 

こんな思いをさせるために送り出したのではないはず。

 
義父を見つけてから私たちの元に到着するまでの時間は約20秒ほどだっただろうか。

 

その間に私は息子の目を見て、真剣にあることを伝えた。

「おじいちゃんは、きっと〇〇(息子)ちゃんに、お父さんを許してあげて欲しいというから。言われても『うん』て言ったらダメだよ」

ここまで大事になったらそう簡単には元通りになるとは思っていないはずだし、家に帰らないところを見て余程の覚悟をしていると容易に想像できるはずだ。

 

そうしたら、恐らく懐柔しやすい息子の方にターゲットを絞るに違いない。

「もし、〇〇(息子)ちゃんが許すと言ったら、お父さんのところに帰ることになっちゃうんだよ。分かった?」

酷なようだが、息子に毅然とした態度を取ってもらうしかないかもしれない。

 

もちろん私が前面に出て対応するつもりだが、相手がどう出てくるかが分からない状況では万全を尽くすしかなかった。

 

そして、最後にもう一度念を押すと、息子は力強く頷いた。

 
途中で電車の揺れによろけながらも、義父はまっすぐに私たちの方へと歩いてきた。

 

少し緊張した面持ちの息子を見ながら空いている隣の席に腰かけて、やや場違いな大きな声で語りかけてくる。

「お父さんがおうちで待ってるよ。〇〇(息子)ちゃんの帰りを待っているんだよ」

それを聞いても息子は何も言わない。

 

明らかに義父を警戒していることが分かる。

 

目も合わせないので、少しイライラした様子になって

「おじいちゃんと少しお話をしよう」

と更に大きな声で言った。

「人とお話をする時には相手の目を見るんだよ」

とか

「せっかくお話しているのに、無視するなんてダメだよ」

とか説教も織り交ぜられていたが、今さら何を言うのだろう、と思った。

 

 

 


息子が以前、夫に無視されていることを相談した時、

「それでも自分から話しかけなさい」

と言ったのはあなただ。

 

無理をされているのは息子なのに、そんなことでめげずにもっと努力すべきだと。

 

「頑張って話しかけているうちに、お父さんもお返事をしてくれるようになるよ」

 

と息子が更に努力するように促した。

 

もう既に心はボロボロだったのに………。

 

このことは私にとって非常に強烈な出来事だったのだが、息子だって覚えているはずだ。

「お父さんが可哀そうだと思わないの?」

周りに響き渡るような声で言うので、周りも段々とこちらに注目するそぶりを見せ始め、何事かと連れの人たちとヒソヒソと話しながら私たちの様子を伺い始めた。

「ぼく、帰らない!」

息子は意外なほどハッキリと言った。

優しい息子のことだから、『やっぱり可哀そう』などとならないように警戒していたのだが、杞憂だったようだ。

いつもより強い口調で断ったので少し驚いていたが、それでも義父は諦めなかった。