実は、義父母宅に着くまでの間もまだ迷っていた。

 

今ならまだ引き返せると何度電車を降りようと思ったことか。

突然来たら驚くだろうな、とか。

限界だと言われてもどうしろと言うのかと戸惑うだろうな、とか。

うちの親と違って夫が暴れるのをたびたび目撃しているので、ある程度は免疫があると思うのだが、ここまで切実に訴えようとしたことが無かったため、それほど切羽つまっていると感じてはいないはず。

いつもは義父母がうちに来てくれるので、私が義実家に行くこと自体がとても珍しい。

 

きっと顔を見た瞬間何事かと思うだろう。
 
スムーズに話し始めることができたとしても、一方的にこちらの言い分や気持ちを伝えることで義父母の気を悪してしまうのではないか、という不安もあった。

本当に色んなことを考えながら迷いもしたが、それでも最終的には義実家に行くことに決めた。

 

この機会を逃したら、またしばらくは辛い生活を我慢しなければならない。

 

次にいつチャンスが巡ってくるかも分からない。

一度この苦しい生活から解放されるかもしれないと考えてしまったら、後には引けなくなったというのが本当のところかもしれない。

 

ただ、これからどのようなことが起こるのかを想像したらとても緊張してしまい、私は身震がした。

 
インターホンを押す手も震えていた。

来客を知らせる音楽が鳴り、すぐに義母が「はい」と出てくれた。

 

インターホン越しに

「○○です」

と答えると慌てて外に出て来て、

「一体どうしたの」
 

と甲高い声を上げた。

 

その表情から心底驚いていることが分かる。

 

只事ではないと私の表情から感じ取ったのだろう。

 普段から結構何にでも驚く義母だったが、この時の驚きようはいつもの比では無かった。

 

まあ、当たり前かもしれない。

 

私の表情や雰囲気を見てある程度のことは察することができたはずだし、日頃から酷い仕打ちを受けているのも知っていたので、【とうとうその時が来てしまったか】と思ったに違いない。

見た瞬間に分かるほど、思いつめた雰囲気だったのだと思う。

すぐに居間に通されてお茶を淹れてくれたが、もう私の心臓はバクバクしていて、何から話し始めたら良いのかが分からなくなってしまった。

こういう風に言おう、こんな感じに道筋をつけて伝えれば分かってくれるかもしれないなどと色々考えていたのに、声を発した瞬間に全てが吹き飛んだ。

 

 

 

 

「もう無理かもしれません」

しばらく沈黙した後、やっと出た言葉はそれだった。

 

たった一言しか発していないのに、まだ色んなことを伝えなければいけないのに、涙がボロボロと出てきた。

あれっ、おかしいな。

 

もっと冷静に話すつもりだったのにな。

泣いちゃうと、きちんと伝えられないかもしれないのに。

 
なかなか次の言葉が出てこない私を、義母は急かさず待ってくれた。

 

そして決して計画通りではないしどろもどろの話をする間、優しく聞いてくれた。

元々話し上手ではないので、言葉だけでは現状を正確に伝えるのが難しいと考えていたため、実は客観的な証拠を用意していた。

その用意していたものとは携帯の写真で、映っているのは息子の体のアザや破壊された文房具たちだった。

以前息子が蹴られて右耳の後ろあたりに赤や紫のアザができた時に撮っておいたものもあったのだが、少しだけ家庭内の状況が良くなった時に、もう使わないだろうと削除してしまった。

だから、その時に差し出したのはそれより後に撮ったもので、首根っこをつかまれて放り投げられた時に腰を打って、青アザになったものだった。
 

一つでも証拠は多い方が良いのに、大事な写真を一つ捨ててしまったこと。

 

これはとても甘い判断だったと今でも反省している。