我が家では、強行的に年に一度ほど息子と遠出をしていた。
遠出と言ってもお泊りではなく、日帰りで夜9時ごろには帰れる距離だった。
具体的な予定が決まると、息子は指折り数えてその日が来るのを心待ちにしていた。
そして、いよいよ待ちに待ったお出かけの日。
当時まだ1年生だった息子は、久しぶりのお出かけということもあって前日は興奮してなかなか眠れなかったようだ。
まだ日が昇らない早朝に手をつないで家を出て、暗い中駅へと急ぐ。
寒い時期のことで、吐く息は白く、手がかじかんだ。
お寝坊な私たちにとって早起きはとても辛かったが、家を出た瞬間から開放感でいっぱいになり、二人ともおかしなテンションでたくさん笑っていたのを覚えている。
15分ほど歩いた後ようやく人もまばらな駅に到着し、ベンチに座った。
目的地は夢の国ディズニーランド。
前の年に購入したポップコーンケースを首から下げて、息子はとてもうれしそうにしていた。
前日に電車の時刻表を確認してから家を出たのでタイミングはバッチリで、到着して間もなく電車が来た。
暖かい電車に乗り込むと、なんとも言えないホッとした気持ちになり急に眠気を催したが、息子はずっと興奮状態で目をらんらんとさせながら電車から見える風景を見ていた。
さー、今日はたくさん遊ぶぞ!
私も少し浮かれながら横にちょこんと座る息子の横顔を見て視線を前に戻そうとした瞬間、自分でも血の気が引くのが分かった。
さきほどまでは全く気付かなかったが、息子の耳の後ろが赤紫に腫れていたのだ。
その赤紫の痣をまじまじと見つめて、息子の様子をうかがう。
せっかくの楽しい気持ちに水を差しちゃいけない。
だって一年ぶりなんだから。
そう思いながらも、聞かずにはいられなかった。
あまり暗い雰囲気にならないように努めて明るく振る舞ったが、恐らく緊張感は伝わったと思う。
急に痣のことを聞かれた息子は少し警戒して、最初は
「何でもないよ」
とか
「気付かなかった」
と答えていた。
でも私が
「こんなに酷い怪我をしているのに、気付かないはずないよ」
と言うと観念したように教えてくれた。
「昨日、お父さんに蹴られたんだ」
私は頭から冷や水を掛けられたような気持ちになり、その直後には頭の中がカーッとなって夫に激しい憤りを感じた。
そんな私の顔を覗き込むようにしながら、息子は続けて言った。
「でもね、ぼくが悪いんだ。ぼくがお父さんの言うことを聞かなかったから」
息子が小さな声でそう言うのを聞いたら、私は涙をこらえることができなかった。
電車の中で他の乗客もたくさん乗っているという状況にも関わらず。
息子が悪いわけない!
体の大きな大人が小さな子供に暴力をふるったら、どうなるか位分からないのか?
私は怒りと悲しみでいっぱいになり、しばらくの間あふれてくる涙を止めることができなくなった。
待ちに待った楽しいお出かけの日に、こんな気持ちで電車に乗っている人などいるだろうか。
周囲の人は皆気付かないふりをしてくれたが、きっと気付いていたと思う。
止まらない涙を何度も小さなタオルで押さえて、鼻をすすっていたのだから。
結局、落ち着くまで十分以上もかかった。
その間はハンカチやティッシュで目立たないようにしていたが。
そうしている間も息子はにこにこしながら、窓の外を眺めたりポップコーンケースを開けたりしていた。
息子なりに気持ちを切り替えようと必死だったのかもしれない。
少し経ってからようやく私が落ち着くと、息子は耳元でこう囁いた。
「お父さんには、コレのこと聞いたって言わないでね」
私はただ「うん」とだけ答えて、息子の手をギュッと強く握りしめた。
言える訳が無い。
言ったらどうなるかなんて、私にも十分に分かっている。
「言いつけやがって」
そう言って、また叩くに違いない。
今度はもっと酷くやられるかもしれない。
電車が進むにつれて街並みが変わっていき、私たちは何とか気持ちを切り替えてディズニーランドに到着した。
遊んでいる間はとても楽しくて、この時間がずっと続けばいいのにと思ってしまうが、そういうわけにもいかない。
夢のような時間は過ぎ、帰る時間が近づくにつれて、二人ともテンションが下がってブルーな気持ちになった。
ゲートを出る時には、まるで地獄へと向かっているような気持ちになった。
背中ではキラキラとイルミネーションが輝いて、楽しい音楽も聞こえてくる。
さようなら。夢の国。
また、来年ね。
それまで息子を一生懸命育てますから、どうか来年も来させてください。
神様にそっとお願いしながら、パークをあとにした。