冬の間、どんなに寒くても暖房はつけない。

「寒かったらエアコン付けた方が良いよ」

そう声を掛けても

「勿体ないから良い」

と言う。

少ないお給料でやり繰りしている私を気遣っての言葉ではない。

 

これっぽっちしかお給料をもらってないから、エアコンを使いたくても使える状況ではないでしょ?という意味が込められている。

そんな寒々しい部屋で、息子は虐待を受けていた。

 

目の前には夫が殴って穴を開けた家具があり、粉々になったクリスマスツリーやオーナメントも見せつけるかのように放置されていた。

暴れる時には壊すものを考えていたようにも思うのだが、私に対する当てつけなのか、よくお揃いで買った保温カップや思い出の食器などはターゲットになっていた。

「壊れちゃったね」

悲しそうに言うのを見て、無表情で

 

「そんなの知るか」

 

と言う。お前が悪いのだと。

 

そもそも保温カップは結構丈夫な造りになっていて、そうそう壊れるものではない。

 

あの恐ろしい力で思い切り投げつけたから、丈夫なはずの保温カップはいとも簡単に壊れて凹んだ。

壊れたことも悲しかったが、投げた先が悪かった。

 

至近距離から息子の方に目がけて投げて、瞬時に避けた息子の頭の脇を通り過ぎた。

もう少しずれていたら息子の頭に当たるところだった。

 

これは本当に許せないことだったが、その時は私がいなかったので、後になって息子がこっそり教えてくれた。

私に色々と言われるのが嫌なのか、大体は私がいない時に虐待が行われた。

 

社用で外出があって少し早く帰った時などは、何度か息子が怒鳴られて叩かれている現場を目撃した。

 

慌てて間に入り、何があったのかを問うのだが、いつも夫は

 

「うるせー!」

 

と一言答えるだけ。

裸足のまま玄関まで追い詰められて、そのまま胸倉をつかまれて玄関の外に放りだされた時は、しばらく外に立っていたらしい。

 

裸足で外に立っている子がいたら今なら通報されそうだが、今は面倒なことに関わりたくないと思う人も多いので通報されることは無かった。
 
しばらくして、やっと許されると中に入れてもらえるのだが、薄着のまま裸足で出された息子の体は冷え切っていた。

12月の寒い日に、Tシャツ一枚で放り出された日には、数十分後に中に入れてもらえた後もしばらくネチネチと説教が続いた。

 

息子は寒さと疲労とで心ここにあらずの状態だったため、夫の話が耳に入ってこない。

その様子を見た夫は激高した。

 

背中や頭、ほっぺたを叩いて、胸倉をつかんで柱の方に追いやる。

 

息子は力なく「ごめんなさい」と繰り返すが、夫自身の気が済むまでは許してもらえることはないので、いつしか虐待を受けている間は自分の中を空っぽにするようになった。

空っぽというのは、全ての思考をシャットアウトすることらしい。

 

我慢していれば終わると考えられる余裕も無くなり、ひたすら自分を無にすることを覚えたという。

こんな話を聞いて、私はいよいよ親として失格だと深く考え込んでしまったが、夫は自分が悪いなんて微塵も思わないようだった。

 

怒り方も陰湿で、息子が悲しむようなことを平然とする人だった。

 

 

 

 

例えば、

 

「勉強の合間に飲むように温かいココアを入れておくね」

 

と言って目の前に置く。

 

その後つまらないことで怒りだし、長々と説教した後に息子のせいでせっかく淹れたココアが冷めてしまったと責める。

「お前がちんたらしてっから、冷めちまったじゃねーか!」

と怒鳴りながら流しに捨てる様を見て、息子は何を思っただろうか。

 

責められ続けていつも自分が悪いと思ってしまっていたので、恐らく

 

「僕のせいでお父さんに悪いことをしちゃったな」

 

と思ったに違いない。

夫の狙い通りの反応なのだが、同じことがあった時に息子が気を利かせて途中でココアに口をつけようものなら

「よくこの中で飲めるな」

と難癖をつけて説教が長引いた。

 

説教の内容もきちんと覚えておかないと、後から

「さっき、俺がなんて言った!?」

などと急に言われて、答えられないと酷く責められていた。

 

一字一句違わずに言えないと、全く聞いてなかったという風に判断されてしまうので、息子は言われたことを暗記できるように頭の中で何度も繰り返していた。


今考えるとエピソードの一つ一つが異常だと思えるが、当時は気づけなった。

 

二人とも恐怖で支配されていて、考える力を奪われていたから。
 

こんな地獄は大人でもそうそう耐えられるものではない。

 

息子は小学校2年の時、既にその状況に絶望していて

「ぼく、もう生きていたくない」

と言った。

 

夕暮れに二人で歩いている時だった。

「そんなこと言っちゃだめだよ。元気に暮らしてるって有りがたいことなんだよ」

こんな悲しい言葉を発して欲しくなくて何かを伝えなければと思ったが、息子の表情を見て次の言葉が出てこなくなった。

目に薄っすらと涙を溜めて、それをこらえる様子を見ていたら、何も言えなかった。

「ぼく、何のために生きてるの?」

私は思わず息子をギューっと力一杯抱きしめた。

「ママは〇〇(息子)がとても大切だよ」

 

「ママの命よりも大切」

そう言うと、息子は少し表情が緩んで

「ママだけだよ、そういう風に言ってくれるの」

と言った。

それから、

「あっ、おじいちゃんとおばあちゃんもいたか」

と少し笑った。